1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:14:19.28 ID:AzJX87Pq0
 
今でも鮮明に覚えている。

僕の人生にケチがつきはじめたのは中学1年生のときのことだった。

この出来事がすべての元凶であったと言った方が
あるいは正確なのかもしれない。

いずれにせよ、この出来事によってそれまでバラ色とは言わないまでも
それなりの色をしていた僕の人生が汚されてしまったことは間違いない。

僕はこの出来事の後暗黒のような人生を送った。

幸いなことに、僕は科学的な才能に恵まれていた。
そして研究をするのに適した人間関係や環境にも巡りあえた。

しかし、それらの幸運も、この出来事及び
この出来事の僕に与えてきた影響に比べるとあまりに小さなものだった。

僕はドクオと呼ばれている。これは僕の本名ではない。
この出来事によって僕につけられたあだ名である。

僕は中学一年生のときからドクオと呼ばれつづけてきた。

そして、僕はこの出来事を払拭するべく、タイムマシンを発明したのである。

2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:17:17.55 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「……完成だ」

僕がそう呟くと、別室で待機していたワカッテマスが
ガレージを改造して作った僕の研究室に入ってきた。

( <●><●>)「あなたがやればできる子であることはわかってます」

別室にいたはずの彼が僕の呟きに反応できた理由は
僕にはわからなかった。

ワカッテマスは片手にコーヒーカップを持っていた。
タイムマシンの完成を予感して待っていたのかもしれない。

ワカッテマスは開いている方の手を差し出し、僕と固く握手を交わした。
そして僕をねぎらうように小さく微笑んだ。

('A`)「ま、なんにせよ、これで恩義に報いることができたってわけだ」

ワカッテマスから差し出されたコーヒーカップを手に取り、
口に運んだ僕はそう言った。
冗談めかした口調である。

本来ならばこのような口調でお礼を言えるような規模ではない支援を
僕はワカッテマスから受けていた。

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:20:17.83 ID:AzJX87Pq0
 
ワカッテマスは机の上に置かれているフラフープのような輪を手に取り
それをしげしげと眺めていた。

( <●><●>)「しかし、こんなシンプルなものがタイムマシンというのが
        私にはよくわかりません」

('A`)「まだ単純な機能しかついてないからな。
   これから複雑化されていくのかもしれない」

( <●><●>)「タイムトラベルができるというのは
        単純な機能ではないと思います」

それはそうだな、と僕は笑った。そしてコーヒーを飲み干した。
コーヒーは簡単に飲み干すことのできる温度だった。

タイムマシンの完成を予感して待っていたワカッテマスは、
しかし意外と長く待たなければならなかったのかもしれない。

4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:23:21.00 ID:AzJX87Pq0
 
( <●><●>)「それで、これからどうするのですか?」

空になったコーヒーカップを受け取り、
ワカッテマスは僕にそう訊いた。

僕はしばらく何も答えずワカッテマスの目を見つめつづけた。
ワカッテマスもその目を逸らさず僕の目を見つめ返した。

( <●><●>)「……あなたに学会などに発表する気がないのはわかってます」

('A`)「その通りだ。これは僕の好きな漫画に出てくる台詞だが、
   自動車という乗り物は便利なものだが誰もかれもが乗るから道路が混雑してしまうんだ」

( <●><●>)「時を駆けられるのはこのドクオだけで良い、と」

('A`)「望めばお前もだ」

( <●><●>)「私は遠慮しときます。未来を知るなど恐ろしい」

('A`)「それならなんで僕のパトロンをしていたんだ?」

( <●><●>)「なぜでしょうね。
        少なくともあなたの体が目当てではありませんが」

そういう巡りあわせだったのでしょう、とワカッテマスは言った。
僕はなんとなく頷いた。

5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:26:18.11 ID:AzJX87Pq0
 
( <●><●>)「もう実験は済んだのですか?」

('A`)「まだだ。おそらく大丈夫とは思うけどな。
   これからはじめることになるが、ワカッテマスも付き合うか?」

( <●><●>)「ご一緒しましょう。
        しかし、本当にこんなものひとつでタイムトラベルできるのですか?」

('A`)「僕を疑ってるのか?」

( <●><●>)「まさか。私はあなたを信用してますよ」

('A`)「冗談だよ、貸してみろ」

僕はそう言いワカッテマスからフラフープのような輪を手渡してもらった。
そしてある特定の部位を両手で握り、
万力のような力を込めて慎重に少しずつスライドさせていった。

( <●><●>)「サイズを変えられるわけですか。
        収納に便利そうですね」

期待と興奮がそうさせるのか、ワカッテマスはめずらしく冗談を口にした。

('A`)「シンプルなデザインなんでね。
   輪の大きさによって移動できる時間の長さが調節されるんだ」

このご時勢にアナログだ、と僕は言った。

7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:29:17.69 ID:AzJX87Pq0
 
カメラがレンズを絞って遠くのものを撮影するように、
このタイムマシンは輪の半径を小さくすることによって
長距離の時間移動を可能にする。

僕はその機構を簡単に説明した。

( <●><●>)「私の学力では正確な理解ができないことはわかってます」

('A`)「今のは一応説明しただけで、
   実際は使い方さえ把握して間違えなければ良いんだ。
   難しく考える必要はない」

( <●><●>)「ではその使い方を教えてもらえますか?」

もちろんだ、と僕は頷き、
タイムマシンにエネルギー源をセットした。

( <●><●>)「それは?」

('A`)「プルトニウムで作った乾電池みたいなもんだ。
   『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って映画観たことあるか?」

( <●><●>)「あります。えらく昔の映画ですね」

('A`)「あれに出てくるものとほとんど変わらない。面白いだろ」

僕はタイムマシンを起動させた。

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:32:17.91 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「この輪の大きさだと
   およそ1分ほどの未来への移動が可能になっている筈だ。
   既にタイムマシンは起動している」

( <●><●>)「まったく実感が沸きませんが、
        今その輪越しに見えている風景は1分後のものなのですか?」

違う、と僕は言った。

('A`)「時空のねじれは今まさにここに生まれているが、
   膜のようなものによってそれぞれの世界は保護されている。
   実際膜があるわけではないけどな。
   そして、一定以上の圧力がかからない限りタイムトラベルが起こることはない」

従って、タイムマシン越しに未来の音が聞こえることもなければ
未来の風景を見ることもない、と僕は言った。

('A`)「当然頭をあちら側に突き出せば見えるし聞こえる。
   それではこれより実験を行うことにしよう」

僕はそう言い、タイムマシンから手を離した。
時空のねじれによってマシンはこの場に固定されており、
フラフープのような輪は宙に浮かぶような形になった。

9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:35:17.80 ID:AzJX87Pq0
 
僕はワカッテマスを輪の向こう側に移動させた。

('A`)「でははじめようか」

そう言うと、僕はタイムマシンに右手を突っ込んだ。
ワカッテマスに向かってフラフープのような輪ごしに手を伸ばす。

(;<●><●>)「ひっ」

ワカッテマスが小さく声をあげた。

僕の右手がワカッテマスに触れた。感触からするに肘である。
そのまま僕は手探りに彼の手首を掴んだ。

当然だが、僕にはタイムマシンに入ったところまでしか
自分の右手が見えていない。

('A`)「僕は今お前の左手首を掴んでいる。
   おそらく位置的に右手首ではないはずだ」

(;<●><●>)「それより、こちらからの眺めはなんとかなりませんか」

グロテスク極まりない、とワカッテマスは言った。
彼の視界内では、僕の右腕は
タイムマシンのところで切断されて見えているはずである。

ワカッテマスは口を手で押さえて眉間に皺を寄せている。
僕は彼の手首を握ったまま自分の右手を引き戻した。

11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:38:18.05 ID:AzJX87Pq0
 
ひっ、と再びワカッテマスが小さくわめいた。

(;<●><●>)「……それは私の腕ですか?」

('A`)「そうだよ。見覚えがあるだろ?」

(;<●><●>)「……予想はしていましたが、
        それ以上に恐ろしいものですね」

('A`)「この技術を応用すれば、とりあえず医学が飛躍的に進歩するだろうな」

残念ながらそれは無理だが、と僕は言った。
僕はこの技術を公表するつもりはない。
したがって、この技術が応用されることもない。

僕は医学の徒ではないので罪悪感をもつ必要もなかった。

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:41:17.54 ID:AzJX87Pq0
 
(;<●><●>)「そろそろ私の左手を離してください」

今自分の手元にある左手首を見ながらワカッテマスはそう言った。
なかなか切羽詰った表情である。

('A`)「お前の左手はそこにあるじゃあないか」

(;<●><●>)「冗談はそのくらいにして。
        万一このタイミングでタイムマシンが機能をやめたら
        どうなってしまうと思っているのですか」

('A`)「そうだな。たぶんお前の腕は切断されるんじゃないかな。
   ちょっとしたタイムパラドックスの実験ができるかもしれない」

ふざけないでください、とワカッテマスは言った。
ワカッテマスの左手は僕の手から離れようと暴れてしょうがない。
僕はワカッテマスの左手を解放することにした。

すると、ワカッテマスの左手はただちに
タイムマシンの向こう側へと吸い込まれていった。

('A`)「そろそろ良い頃合いなんじゃないかな」

僕は時計を見ながらそう言った。
それとほぼ同時に、ワカッテマスに向かって
タイムマシンから手が生えてきた。

僕のものだとすぐにわかった。

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:44:24.06 ID:AzJX87Pq0
 
指先、指、手、手首、腕、と順番通りに
僕の右腕がワカッテマスに向かって伸びていく。

僕は自分の腕の断面図が変化していく様をぼんやりと眺め、
好きな漫画に出てくる『輪切りのソルベ』のシーンを思い浮かべた。

('A`)「どうということはないな」

この体験は、不本意にも中学1年生にして地獄を見た僕にとっては
それほど刺激的なものではなかった。
少なくとも恐怖心からさるぐつわを飲み込んで死ぬほどではない。

そんな僕とは対照的に、ワカッテマスは迫りくる腕に怯えている。
その怯えようはわざとらしさを感じるほどのものだった。

あるいはこれが常識人のリアクションなのかもしれない。
ワカッテマスの有する資産は非常識な規模だけれど、
リアクションとしては常識人なのかもしれない。

僕がそのように頭の中で遊んでいると、
およそ1分前の僕に左手首を掴まれたワカッテマスが悲鳴を上げた。

16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:47:17.57 ID:AzJX87Pq0
 
1分間足らずの抵抗の後、ワカッテマスは
自分の左手を取り戻すことに成功した。

(;<●><●>)「はあはあ……ちょっとおふざけが過ぎますよ」

('A`)「なに、こうして戻ってこられたんだから良いじゃあないか」

僕はそう言いタイムマシンを強く手で押してみた。
時空のねじれによって固定された輪は当然びくともせず、
僕はワカッテマスに肩をすくめてみせた。

('A`)「ここに手をつっぱって抵抗すればすぐに戻ってこられたろうに」

科学者らしく、ひょろひょろの体をもつ僕に対して
ワカッテマスは均整の取れた痩せマッチョ体型をしている。
おそらく腕相撲を10回やったら10回とも僕が負けることだろう。

( <●><●>)「動作中はタイムマシンに
        決して触れてはいけないのではないのですか?」

そんな注意書きがされてあるかと思いました、とワカッテマスは言った。

そんなことはない、と僕は言い、タイムマシンを殴ってみせる。
やはりタイムマシンには影響がない。

('A`)「なんせシンプルなデザインなんでね」

注意書きはおろか、使用法もまだ明文化されていないのだった。

18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:50:18.39 ID:AzJX87Pq0
 
僕はタイムマシンを停止させ、再び机の上に横たえた。

( <●><●>)「実験は成功ですね。
        世間に発表しないのなら、これから何をするのですか?」

('A`)「僕はこれから一度だけタイムマシンを使用する。
   そして、これを破壊するんだ」

( <●><●>)「それはまたもったいない話ですね」

('A`)「あの映画でも言ってただろ?
   不必要な時間旅行は不利益しか生み出さないんだ」

そうですか、とワカッテマスは頷いた。
この研究に必要な費用はすべてが彼の懐から出ているのだから
もっと怒ってきても良さそうなものだけれど、
ワカッテマスはしばらくそのまま黙っていた。

( <●><●>)「それで、何をするつもりなのですか?」

('A`)「というと?」

( <●><●>)「あなたはこれから一度だけ
        タイムマシンを使用すると言いました。
        その時間旅行で何をするつもりなのですか?」

これくらいは教えてくれても良いはずです、とワカッテマスは言った。

僕はそれに頷いた。

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:53:17.87 ID:AzJX87Pq0
 
『にこにこハイキング』、僕はこの行事名を二度と耳にしたくはない。

それは朝学校に到着するなり30kmほど離れた地点までバスで運ばれ
ひと山を越えて歩いて帰る、というにこにこする余地のない行事であり、
もし男の子たち女の子たちがにこにこしていたとしたら、それは
肉体疲労のあまり顔面の筋肉が痙攣しているに違いない、というものである。

僕の通っていた中学校には、この、ある特定の動画サイトを
愛好している者が作ったとしか思えない名前の行事があった。

唯一の救いは歩行中の私語が認められている点であり、
皆思い思いにグループを作っては
だらだらと雑談しながらハイキングを続けるわけである。

ここで忘れてはならないことがひとつある。
それは、万人に対する救いなどこの世に存在しないということだ。

僕にはこの行事で一緒に歩く程度の仲にある友人がふたりいた。
ひとりぼっちで30kmの道のりを消化することを想像するに、
このことはあるいは幸運に恵まれていると感じるべきなのかもしれない。

しかし、僕の悪夢はこの状況が原因のひとつとなって生じたものなのである。

20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:56:17.50 ID:AzJX87Pq0
 
僕の母親の料理の腕前は破壊的なものだった。

『とんかつ』と称して消し炭のようになったかつて豚肉だったものが
食卓に並ぶことは珍しくなかったし、
『ひじき』はつゆにひたひたになっていない状態が正常であると知ったのは
かなり大きくなってからのことである。

給食をまずいと言う子の気持ちが僕はミジンコたりとも理解できず、
僕の家で出てくる何よりのご馳走はインスタントラーメンだった。

そんな僕の母親は、この中学1年生の『にこにこハイキング』において
僕に弁当をこしらえてくれたのだった。

コンビニなどを利用して平和に過ごそうとしていた僕は、
当然全身の細胞フル動員で抵抗した。

J( 'ー`)し「なんだいせっかく作ったのに」

(;'A`)「いや、みんな弁当なんてもってこないんだって!」

僕は母親が自分の料理の腕前を自覚していないのが
何より不思議でしょうがなかった。

結局僕は母親に弁当を押し付けられた。
そして、それを処理する間もなく
友人が僕の家に迎えに来てくれたわけである。

21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 18:58:18.30 ID:AzJX87Pq0
 
まさか友人の目の前で母親の作ってくれた弁当を捨てるわけにもいかず、
また話のネタにできるほど母の料理を受け入れられてもいなかったため、
僕はこの弁当について触れることなく友人と学校へ向かった。

彼の通学路上に僕の家は建っていた。
そのため彼はこういった行事のある日には僕と一緒に登校し、
お互いに忘れ物がないかなどを確認するのが常だった。

彼との会話は楽しく、学校につくころには
僕はすっかり弁当のことなど忘れてしまっていた。

学校にはすでにもうひとりの友人も着いていて、
3人になった僕たちは、行事の開始時間となるまでのしばらくの間を
談笑に費やした。

学校で僕たちと合流した彼はコンビニの袋を右手にぶら下げていた。
彼はそれを昼飯だと言い、中にはパンやおにぎりが入っているようだった。

しばらく話題が昼食関連についてになったが、
その間僕が肉食獣の通過に息をひそめる草食動物のように
用心深くなっていたことは想像に難くないだろう。

僕は母の作ってくれた弁当の存在を再認識し、ひとり静かに神に祈った。

23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:01:17.53 ID:AzJX87Pq0
 
やがて『にこにこハイキング』が開始された。

僕たち生徒はバスで連れられ30キロほど離れた山のふもとに降ろされた。
ここから山を登り、山頂でお昼ご飯を食べ、山を下り、
そして学校まで歩いて行って『にこにこハイキング』は完成される。

僕たちは僕たちなりのペースで歩き始めた。

普段歩く機会のない山道は様々な発見に満ちていた。

蛇かと見間違えるほどに大きなミミズ、
そしてそのミミズがひからびてできた、かつてミミズだったもの。
街では見ることのないサイズのクモの巣にあわてふためき
にゃあにゃあとかわいい猫を眺めながらのハイキングとなった。

正直に言おう。この時点での『にこにこハイキング』は
まさにその名にふさわしいものだった。
名づけ主を厨房扱いした自分を恥じるばかりである。

山頂にたどり着いた僕たちは少しばかりの達成感と
心地よい疲労に包まれていた。
そしてそのハッピーさのまま昼食をはじめることになった。

しかし、3人で輪になりそれぞれ弁当の蓋やコンビニの袋を開いた瞬間、
僕の中で『にこにこハイキング』はその名にふさわしいものではありえなくなった。
名づけ主はある特定の動画サイトの信者に違いない。

僕の弁当は腐っていた。

24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:04:17.79 ID:AzJX87Pq0
 
弁当の蓋を開いた瞬間、僕は絶句した。

『絶句』という言葉が存在することは当時の僕も知っていた。
しかし、おそらくこれが僕が人生においてはじめて絶句をした瞬間である。

そのすっぱい臭い粒子が僕の鼻粘膜に付着するや、
僕の自律神経及び自己防衛本能は全力で警鐘を鳴らしはじめた。
すていとおぶえまーじぇんしー、これこそが緊急事態である。

僕は素早く友人ふたりの顔色を伺った。
幸か不幸か、彼らはいずれも
僕の弁当の異常性について気づいていないようだった。

それも当然なのかもしれない。
おそらく僕自身も、このいかんともしがたい臭いと
うすぼんやりと変色したかつて白米だったものを間近に見ずには
これがバイオハザード、生物公害の元凶だとは思わなかったことだろう。

僕にはふたつの選択肢が用意されていた。

すなわち、ないないするなり廃棄するなりして
速やかに弁当タイムを終了させてしまうというものと、
あるいは一刻も早く食らい尽くしてしまうことによって
合法的に弁当タイムを終了させてしまうというものである。

当時の僕はあまりに純粋すぎた。
この自分の家庭の恥部が友人に明らかになる可能性を恐れるあまり、
後者を選んでしまったのである。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:07:17.83 ID:AzJX87Pq0
 
僕はフードファイターたちも裸足で逃げ出すであろう迫力で
弁当の中身をかっ食らった。

彼らは大食い・早食いのプロであり、当然その量や速さで
僕が勝ち得るわけがない。
しかし、このときの僕の決意・覚悟の気持ち及びその驚くべきテンパり様は、
カミカゼ特攻隊を連想するにいささかの無理もない有様だったことだろう。

無茶をするのに必要なのは何よりテンションの高さである。
僕の脳内では様々な麻薬物質がどぴゅどぴゅ分泌されていたに違いない。

こうして僕は、なんとか恥ずかしい弁当を
友人に見られることなく処理することに成功した。
一粒一粒心をこめて米を作っているという農家の人に見せても
なんら心配のない完璧な処理法であった。

むしろ心配すべきはそのような米をあのような有様で
弁当にしてしまった僕の母親の方だろう。
このときの僕にとって唯一の救いは、
水筒に入れられていた麦茶が普通の味をしていたことである。

27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:10:17.77 ID:AzJX87Pq0
 
そして昼食タイムは何事もなかったかのように終わりを告げた。
『にこにこハイキング』が再開される。
僕たち3人は立ち上がり、尻についた汚れをはらって歩き始めることにした。

昼食がコンビニメニューだった彼は
おにぎりやパンの他にもお菓子の類を買ってきていて、
山の下りは飴玉に舌を喜ばせながらの移動となった。

僕の舌はこの常識的な旨さに大いに感激した。
それと同時にこれまでの仕打ちのひどさにむせび泣いた。

なぜ俺がこんな目に、と僕の舌が訴えた気がした。
それはこっちの台詞だ、お前はまだいいじゃないか、と
僕の胃が反応したような気がした。

小腸か大腸かは知らないが、とにかく僕の腹部がそれに呼応した。

ここに僕のお腹はきりきりと痛みはじめ、ハイキングによる健全な汗にまじって
苦痛による不健康的な脂汗が僕の顔面に流れはじめた。

その苦痛による僕の顔の歪みは、あるいはにこにことしているように
見えていたかもしれない。
人間、本当につらいときやどうしようもないときは、
笑うか泣くかしかできないものなのだ。

『にこにこハイキング』とはまことに正しいネーミングである。

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:13:17.59 ID:AzJX87Pq0
 
しかしながら、山を下り終えたところで僕の腹痛もその山も越えられたらしい。
あるいは市街地へと近づきトイレに駆け込めそうな状況となったのが
幸いしたのかもしれない。

とにかく僕の腹痛はなんとか事なきを得ることとなった。

おそらく様子がおかしかったであろう僕にも
僕の友人たちは優しく接してくれた。
僕たちは何も異変が起こっていなかったかのように普通に話し、
お菓子を食べ食べ歩き続け、やがては見慣れた風景に囲まれるようになった。

『にこにこハイキング』も残るところあと1時間かそこらだろう。
そこに一抹の寂しさを感じても良さそうなものであるが、
そのときの僕にそんな余裕はついぞ見当たらなかった。

なぜなら、今度は純粋な便意が僕に襲いかかってきていたからである。

33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:16:17.79 ID:AzJX87Pq0
 
ここで忘れてはならないのは、小中学生にとって、排便行為は
布を織る鶴よろしく人目をはばかって行わなければならないということである。
不思議な脅迫感を僕たちはもっていた。

これが高校生や大学生、あるいは社会人となると背景はやや異なってくる。
堂々と「うんこしてくる」と言えば、ちょっかいを出すような男は
むしろそいつの方が無粋者と軽蔑の対象となるだろう。

ただ、繰り返すが、小中学生にとって
排便行為は絶対的なタブーなのである。

僕は一人静かに自分との戦いを開始した。

僕にとって不幸なのは、この便意が
自分にはどうしようもできない強さでもなければ
どう考えても我慢することが距離的に不可能でもなかった点である。

犬にでも食わしてしまうべき価値しかない卑小な理性は
僕に開き直ってトイレに駆け込むことを許さなかった。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:19:18.18 ID:AzJX87Pq0
 
一歩足を進めるごとに僕の胃腸は刺激された。
刺激された胃腸は健康な排便を促した。

憎むべき健康。唾棄すべき代謝機能。
僕が現在科学者らしく不健康そうな体型をしているのも
むべなるかなといった次第である。

僕は便意をこらえるために考えつくあらゆる奇怪な行動を行った。
スキッピーなステップで歩きもすれば
ひっ・ひっ・ふー、と妊婦さながらラマーズ法の呼吸を取り入れもした。

しかし、肺の空気を1cc残らず吐き出してもなお
僕の便意は留まることを知らなかった。
今ならば『山吹色の波紋疾走』を容易に放てるに違いなかった。

僕は友人たちの気配りを恨む。

間違いなく不審であった僕の言動をとがめてくれれば、
そして話題に挙げ「どうしたんだよ」と訊いてくれれば、
あるいは一時の恥をしのんでそこらへんの商店に駆け込むことも
やぶさかではなかったに違いない。

僕は多大な苦痛ににこにこと歪む顔面と共に
もっとも良く知る慣れ親しんだ曲がり角を目撃した。

そこを曲がった先には僕たちの中学校が見えていた。

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:22:18.09 ID:AzJX87Pq0
 
その瞬間の僕の安堵をどのような言葉で言い表すことができるだろう?

時刻は夕方、太陽は西の空に沈みかけており、
世界はオレンジ色に染められていた。
なんと美しい光景だろう。僕はその夕日に神を見た。

僕たちが一歩ずつ中学校に近づくにつれ、
陽は刻一刻とその身を沈めていった。

景色から色が失われようとしている。
僕たちが中学校に辿りつくころにはすっかり日没しきっており、
ぽつぽつと街灯や店の灯りがつきはじめていた。

太陽の光が届かなくなるに従って、
僕の便意もその留まることのなかったはずの猛威にかげりを見せていた。

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:25:17.68 ID:AzJX87Pq0
 
中学校に到着する。
僕は『にこにこハイキング』を無事終えられた証明に
運動場で所定の用紙に氏名とクラス番号を記入した。

なんというすがすがしさか、
すべてが終わった後では先ほどまでの便意にも
むしろ懐かしみのようなものを感じてしまう。

新しいパンツを穿いたばかりの正月元旦の朝のような爽やかさとは
このことを言うのだろう。

僕はすっかり苦痛から開放されていた。
それまで抑圧され続けていた僕の感情は僕の涙腺を緩ませた。
僕の頬をひとすじの涙が伝っていくのが感じられた。

僕の精神は風に舞う羽のように軽やかなものとなり、
それとは対照的に僕のズボンは暗黒のように重くなっていた。

僕は脱糞していた。

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:29:17.80 ID:AzJX87Pq0
 
( <●><●>)「そんなことがあったのですか」

僕は大きくひとつ息を吐き、ワカッテマスに頷いた。

('A`)「そして僕にはあだ名がついた。
   僕はドクオと呼ばれるようになったんだ」

子どものあだ名ネーミングセンスは連想ゲームのような柔軟さをもっている。

僕は一連の出来事からうんこ関連の名で呼ばれ、
ばい菌経由で毒関連へとあだ名が移行していくのに
それほどの時間はかからなかった。

そして僕のあだ名はドクオに至った時点で固定されることとなる。

( <●><●>)「それではドクオと呼ばれるのは嫌なのですかね。
        これまで失礼いたしました」

('A`)「いや、それはいいんだ。
   なんていうかな、既に呼び名として独り立ちしているから
   気になることはない」

( <●><●>)「そうですか。安心しました」

('A`)「ま、時と場合によるけどな」

僕はそう言いもうひとつのトラウマメモリーを辿りはじめた。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:32:19.54 ID:AzJX87Pq0
 
あれは高校生のころだった。
あいにく何年生のときのことかは正確に思い出せないが、
覚えていないということはおそらく必要ないのだろう。

そのとき僕には思いを寄せる女の子がいた。

彼女はクーと呼ばれていた。
すらりと長いつややかな黒髪を肩まで伸ばし、
クーはとても美しかった。
僕は彼女をひと目見たときからその横顔を目で追いはじめた。

幸いなことに、彼女も僕のことを気に入ってくれたようだった。

僕は彼女が在籍しているというだけの理由で科学部に所属していた。
なにせ僕には科学的な素質があったので、
そこに興味をもっている彼女の気を引くことはごく自然な流れだったのだろう。

時には宇宙に思いを馳せ、時には海底の世界を知りたいと望み、
僕たちは日に日に親睦を深めていった。

僕たちの関係は清純そのものであり、
よくある愛憎絡みの醜い駆け引きや言い争いは一度として存在しなかった。

なぜか。僕が股間のもっこりに影響されなかったからではない。
僕は一人前にクーに対して勃起していたし、彼女を脳内で
裸にひん剥いた回数は今までに食べたパンの数よりも多いかもしれない。

単純に、それほどの仲になる前に試合終了のはこびとなっただけである。

39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:35:18.01 ID:AzJX87Pq0
 
僕たちの話題は尽きなかった。

それならば取捨選択の余地がありそうなものなのだが、
生来話し上手というわけではない僕は
半ば無理やりに話を弾ませていたので、僕の余裕のなさは
自転車操業を続ける中小企業の同情を買えそうなほどだった。

あるとき話題が僕のクラスメイトである
『バミ』と呼ばれる男についてになった。

川 ゚ -゚)「彼はどうしてあんな呼び名になったのだろう?」

クーは僕と一緒に作ったミニチュアサイズの風力発電を
回路に繋げながらそう言った。

クーが風車に息を吹きかけると、風車の羽がカラカラと回り、
それによって発生させられた電気が回路上の電球を光らせた。

いずれは創意工夫をこらして扇風機に向かって突き進んでいく
風力発電ミニ四駆を作るというのが当時の僕たちの目標だった。

このときの僕には自分に不都合な話題を避けて通るための話術が
あまりに乏しく、嫌な予感がしているにも関わらず
『バミ』の話をすることになった。

僕が『バミ』の由来について知っていたのも僕の不幸のひとつである。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:38:17.85 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「1年の1学期かな、まだ呼び名が定着してないときの話だ」

僕は回路をいじくりながら話をはじめた。
『バミ』と僕は高校の3年間ずっと同じクラスだった。

そのため、僕は彼についてそれなりに知っていたし、
彼もまた僕についてそれなりに知っていたことだろう。
僕の高校のクラス分けは文系・理系及び学業成績によって
なされていたため、このくらいの距離感にいる者がざっと数えて10人はいた。

仮に僕がここでこの話をせず、
会話の流れが僕に悲劇的な方向に進まなくとも、
この悲劇はいずれ訪れていたに違いない。

僕は話を続けた。

('A`)「あれは暑くなりはじめの季節だったと思う。
   だから5月か6月くらいかな。体育の前の休み時間だ」

ふんふん、とクーは興味を持って僕の話に頷いた。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:41:17.94 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「僕たちは当然体操着に着替え始めた。
   この高校の体操着だ。何の変哲もない白いあいつだよ」

僕はそのとき普通に着替えを完了させた。

教室奥にあるロッカールームで
安っぽい綿とポリエステルの混ざり物シャツに頭をくぐらせ、
紺のショートパンツを身につけた。
そしてロッカーからクッキーの箱を取り出し
一掴みを持って教室内に戻っていった。

当時、僕のクラスでは、ロッカーにお菓子を隠し持って
休み時間に食べるというのが流行していた。
教師に見つかるようなことがあれば当然怒られるため、
そのリスクを負ってお菓子を教室内に持ち込む者は尊敬されていたのである。

僕は友人の何人かににクッキーを分け与え、
いつになく騒がしいロッカールームに気をとられながらも
授業の行われる場所の確認をしていた。

今回は体育館での授業となるため
体育館シューズを持っていかなければならない。

体育館シューズを取りに再び向かったロッカールームでは、
『バミ』が話題の中心となってお祭りのような騒ぎとなっていた。

彼の白くあるべき体操服はとてつもなく黄ばんでいた。

45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:44:18.55 ID:AzJX87Pq0
 
川 ゚ -゚)「『黄ばみ』が『バミ』か」

くだらないな、とクーは笑った。
僕もそれに合わせるようにして笑った。

('A`)「まあでもあだ名がつくときってそんなもんだろ。
   クーはどうしてクーなんだ?」

川 ゚ -゚)「わたしは苗字が素直だろ。
     変わった名前だと茶化されることが多かった」

加えてこの性格だ、とクーは自嘲気味に微笑んだ。

川 ゚ -゚)「どうも感情を表に出すのが苦手でね。
     ある日、お前は素直というよりクールだな、と言われた」

('A`)「それで『クール』が『クー』に?」

川 ゚ -゚)「バミと同じくくだらないな。
     ドクオはどうしてドクオなんだ?」

('A`)「僕のもくだらない話だよ。聞くに堪えない話だ」

川 ゚ -゚)「なんだよ、教えろ」

そういうのはズルいぞ、と僕を射抜くクーの眼差しはとても魅力的だった。

クーは僕をしきりに促し、僕は話を続けることにした。
正確には、続けることにしてしまった。

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:46:18.50 ID:AzJX87Pq0
 
その後のクーの反応については描写する必要はないだろう。
なぜなら不可能だからだ。

英語に"beyond description"という表現がある。

びよんどでぃすくりぷしょん。
『びよんど』の概念は「何か境界があって、その向こう側」というものである。
『でぃすくりぷしょん』は描写を意味する。つまり境界は描写だ。

描写の向こう側にある世界、それは『筆舌に尽くしがたい』と訳される。

その後のクーの反応は筆舌に尽くしがたいものだった。

クーは自分の性格をして感情が表に出にくいと言い表したが、
僕はクーが精神的に離れていくのを数字で見るより明らかに感じた。

それは物理的にはミリ単位以下での変化である。

僕の話がすべらかに進むにつれ
まずクーの笑顔がぎこちないものを経て戸惑いを混ぜたものになった。
そして彼女の眉間に皺が生まれかけた。

僕の話を聞きやすいよう少しこちら側に傾いていたクーの上半身は、
やがて脊髄が鉛直上向きに切り立った。

クーと一緒に創意工夫をこらして作る予定だった
扇風機に向かって突き進む風力発電ミニ四駆は、ここに計画が頓挫した。

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:49:18.80 ID:AzJX87Pq0
 
というわけだ、と僕はワカッテマスに言った。

('A`)「僕はこのとき以来『絶対に引かないから話してみろ』といった
   類の言葉は『絶対に』信用しないようにしている」

( <●><●>)「それが賢明であることはわかってます」

('A`)「お前はそれでも引かないな?
   それとも僕が気づいてないのかな」

( <●><●>)「先ほどグロ体験をしたばかりですからね。
        スカトロ話など片腹痛く思います」

('A`)「そうか。それからの僕の人生は想像がつくだろう?」

僕が自嘲の笑みを浮かべながらそう訊くと、
ワカッテマスは目をつぶって頷いた。

( <●><●>)「クーから遠ざけられるようになったあなたは
        しかし諦めがつけられず、
        その不満を昇華させる形で科学にのめりこむようになった?」

('A`)「我ながら陳腐だな」

だがそれももう終わる、と僕は言った。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:52:17.89 ID:AzJX87Pq0
 
僕は机の上からフラフープのような輪を手にとった。
そして万力のような力をこめて、
ある特定の部位を両手で少しずつ狭めていった。

頭の中で数字を動かし、自分の年齢と照らし合わせる。
僕はタイムマシンを調節し、中学1年生のあの時点に飛べる大きさにした。

( <●><●>)「先ほどの実験は1分後の未来に来るというものでした」

過去に行くにはどうするのですか、とワカッテマスは訊いた。
僕は答える代わりにタイムマシンからエネルギー源を抜き取った。

('A`)「仕組みは単純だって言っただろ?
   便宜上プラス極とマイナス極という表現をすると、
   このプロトニウムで作った電池のようなものを
   プラス極からマイナス極に向かって輪の伸びる方向に入れると良い」

要するに、このタイムマシンは輪の大きさによって時間的な移動距離を、
そしてエネルギー源を入れる向きによって移動方向を選択するんだ、と僕は言った。

('A`)「機構については説明する必要はないな?」

( <●><●>)「説明されてもわかりませんからね」

僕はタイムマシンにエネルギー源をセットした。

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:55:18.84 ID:AzJX87Pq0
 
僕はワカッテマスに車を出してもらい、
目的の地点へと移動をはじめた。

( <●><●>)「私はてっきり研究室から時間移動をするとばかり思ってました」

ハンドルを握るワカッテマスが言った。
僕はタイムマシンを丁寧に抱えて後部座席に乗っている。

('A`)「たいていのメカニズムはそうだが、
   一番エネルギーを必要とするるのはその起動だ」

事故が多いのもな、と僕は付け加える。

('A`)「一度生まれた時空の歪みを固定するのはそれほど困難ではない。
   かかったとしても数時間程度で僕の用事は終わるのだから、
   現場で時間移動をし、すぐに戻ってくるのが適当だろう」

僕が中学1年生のとき、ワカッテマスの家が今ある場所には
何があったのだろう、と僕はぼんやり考えた。
仮に工場だったとすると、
彼の家から時間移動をした瞬間、旋盤に殺されても不思議ではない。

その旨を彼に訊いてみると、
あそこはずっと私の家ですよ、とワカッテマスは答えた。

51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 19:58:18.55 ID:AzJX87Pq0
 
僕とワカッテマスを乗せた車は僕の通っていた中学校を通過した。
記憶を辿って当時一番慣れ親しんでいた曲がり角を曲がり、
『にこにこハイキング』の道のりを遡る。

('A`)「あそこに停めてくれ。今は駐車場になっているが、
   当時あそこにはコンビニが建っていたはずだ」

( <●><●>)「わかりました。気をつけて」

ワカッテマスは僕にそう言った。

僕は確かに気をつけなければならない。
頭の中にある当時の地図とわずかに残るその痕跡を参考に、
慎重にタイムトラベルの位置を考え、
しかる後にトラブルのない行動をとらなければならない。

('A`)「当時ここはコンビニの裏のデッドスペースだった。
   エアコンの室外機と錆びた放置自転車の楽園だ」

僕は見覚えのあるブロック塀を根拠にタイムマシンを設置した。

車内に残るワカッテマスの様子を振り返る。
お互い無言で頷き合うと、僕はタイムマシンを起動させた。

('A`)「じゃ、またな」

僕はそう言い、フラフープのような輪をくぐりぬけた。

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:01:18.20 ID:AzJX87Pq0
 
頭からフラフープのような輪を抜け出た僕は、
でんぐり返しをするようにして着地した。

アスファルトの地面は器械体操をするにふさわしくはない。
僕は手と背中にそれなりの痛みを伴いながらも立ち上がり、
ぐるりとあたりを見回した。

まず僕の立った右手にエアコンの室外機が重低音を響かせていた。
そしてアスファルトのほころびにめざとく雑草が生えている。
どれだけの時間放置されているのかわからない自転車が赤々と錆びていた。

回れ右をすると、僕の眼前に懐かしきコンビニエンスストアが建っている。

('A`)「僕の計算と大きさ調整が正しければ、
   例のあの日に移動できているはずだ」

僕はぐるりと回りこんでコンビニに入り、
入り口付近に陳列されている新聞類の表面に目を走らせた。

僕の目論見どおりの結果がそこにはあった。

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:04:18.37 ID:AzJX87Pq0
 
日が暮れるにはまだ時間があった。

僕はコンビニで当時の漫画や雑誌を立ち読みし、
そのあまりの時代遅れさをにやにやと楽しんだ。
もちろん彼らは彼らの流行の最先端にいるのだろうが、
僕にとっては一時代前の流行を自信満々に掲げている姿は
それ自体がシュールなギャグとなっていた。

僕の計算はほとんど時間的な誤差を生まず、
そうこうしているうちに当時の僕がこのあたりを通りかかっても
不思議ではない時間に差し掛かってきた。

にやにやタイムを切り上げることにした僕は
コンビニで食べ物でも買って食べながら待とうと思った。
そして、そこで貨幣の変化に思い至った。

僕は財布から紙幣を何枚か取り出し、
記憶を辿ってここで使って良いものを餞別しようとしたが、
あいにく1枚も使えそうなものは持っていなかった。

自分の段取りの悪さに舌打ちをしながらコンビニから出た。
店員が怪訝そうな表情で僕を目で追っていた気がしたが、
それが僕の自意識過剰からきたものかどうかは判断がつかなかった。

店外に出た僕は、駐車スペースに停まっている車に自身を映して眺めた。
ファッション的に時代に浮いてはいないだろうかと思ったのだ。

幸か不幸か、僕は何の飾り気もない服装をしていたため、
そのファッション性のなさは時代を超越しているとしか思えなかった。

56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:07:18.17 ID:AzJX87Pq0
 
しばらく僕は僕の通るであろう道路から目を離さないように気をつけながら
コンビニの周辺をぶらぶらと歩いた。
そして絶対的なものと相対的なものについて思いを馳せた。

太陽は眩しく僕を照らす。これは絶対的なものである。
しかし、当時大気の汚れをしきりにニュースで叫ばれていた空気は
僕には美味しいものに感じられた。
つまり、僕のいた時代には大気汚染がより進行しているということだろう。

しかし、実際に大気の状態がどうなっているのかは僕にはわからない。

過去に来ているという前提がプラセボ的に
空気を美味く感じさせているのかもしれないし、
あるいは僕の感覚は既に毒されていて、毒された僕に美味しい空気は
より汚染の進んだものなのかもしれなかった。

僕は自分の右手を開き、左手と何度も見比べてみた。

足を強く踏みしめてみる。
アスファルトの感触が僕の足に返ってくる。

僕が今なんとなく感じている違和感は、
本来僕がこの世界の住民ではないからなのか、
それとも僕が自分は本来この世界の住民ではないと考えているからなのか。

『にこにこハイキング』を行っている最中なのであろう子どもたちが
何人となく僕の視界に入っては過ぎ去っていく。

やがて、その中に覚えのある3人組が現れた。

57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:10:18.11 ID:AzJX87Pq0
 
ひとりは活発さを絵に描いたような足ぶりだった。
学校行事が好きで仕方がないのだろう、
おそらく山道で拾ったのであろう木の枝を片手に振り回しながら
3人の先頭を歩いていく。

それにやや遅れて歩くのが僕を迎えに来てくれていた友人である。
彼はハイテンションな先頭と会話を交わしながら
一定の落ち着いた歩調で進んでいる。

そして、その後ろで精一杯平静を装っているのが僕である。
苦痛をこらえて無理やり笑顔を作ろうとして失敗したのか、
それとも苦痛によってその形に歪んでいるのか
判断のつきづらい表情をしている。

僕は遠巻きに3人を眺め、彼らに平行して歩きだした。

さすがにタイミングを見計らわずに声をかけるわけにはいかない。
このことを予期していた僕は当時の僕に限界の訪れるまで
それなりの余裕を残した時分に移動してきているので、
タイミングがまったくないかもしれないという不安はあまり抱いていなかった。

むしろ、当時の僕の表情を見ることによって
心的トラウマがぶり返し、自分の精神が破綻することの方を恐れていた。

59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:13:18.39 ID:AzJX87Pq0
 
声をかける機会は割合早く訪れた。

ちょっとジュース買ってくるッ、と声をあげ、
先頭を歩いていた彼が短距離走の速さで駆け出したのだ。
それに負けじと落ち着いた歩調の彼も走り出した。

その声を聞いた僕は、自分も一緒に駆けることのできなかった
なんともいえない寂しさをこのとき感じたことを思い出した。

当然僕もついてくると思っているのか、
2人は振り返ることなく道外れにある自動販売機へと全力疾走を続ける。
やがてはそこでジュースを買い、とぼとぼとやってくる僕と合流するのだ。

('A`)「そういえば、このとき大丈夫かと訊かれたな」

僕は都合よく改ざんされていた自分の記憶を恥じた。
友人たちの救いの手を振り払って「うん大丈夫」などと
脳死しているとしか思えない受け答えをしたのは何を隠そう僕なのだ。

狭い心で不必要な苦痛を背負い込んでいる当時の僕は、
この世の不幸がすべて自分に降り注いでいるような表情で
ナメクジが這うように歩いていた。

僕はこいつを殴ってやりたくなった。

しかし、殴った勢いで脱糞されては元も子もなく、
何よりこいつは他ならぬ僕に相違ないため、そんな衝動は
そっと心にないないした後、僕はエレガントに近づくことにした。

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:16:17.98 ID:AzJX87Pq0
 
当時の僕は不景気な顔で近寄る僕を一瞥した後
ずるずると歩き続けた。
そのため僕はこちらから会話を開始せねばならなかった。

しばらくどのような流れで会話を作ろうかと考えた後、
面倒くさくなって僕は当時の僕に声をかけた。

('A`)「おい少年」

なんですか、と当時の僕はローテンションに答えた。
自分が自分に話しかけるという異常事態を身体が感知するのか、
当時の僕との会話はたまらない不快感を伴った。

しかし、僕は不快感なら脱糞事件後浴びるほどに経験している。
当時の僕がこの不快感によって脱糞しないことを祈りながら言葉を続けた。

('A`)「うんこをしなさい。うんこを」

恥ずかしがらず、と僕は言った。

当時の僕は気違いを見るような目で僕を見た。
その感想にはおおむね同意するところである。
我ながらこの切り出し方は愚かしすぎた。

62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:19:18.92 ID:AzJX87Pq0
 
あー、とも、うー、ともつかない声をあげて僕は心を落ち着けた。
そして再び不快感に逆らって言葉をつづけた。

('A`)「僕が誰なのか、君に言う必要はないと思う。
   ひょっとしたらもう気づいているのかもしれないし、
   気づいていないなら、それはそれで構わない」

当時の僕は眉間に皺を寄せて僕を睨みながらも
口答えをすることも脱糞することもなかった。

('A`)「ただ、僕は君が便意をこらえているのを知っている。
   これまでの苦しみも、すべて知っている。
   君がどうしてここまで便意をこらえてきたのかもね。
   そしてこのままではまずいと思いながらも
   行動を取れないでいることも知っている」

僕は背中を押しに来たんだ、と僕は言った。

('A`)「君も頭ではわかっていると思うけど、
   トイレに行って排便することは何も恥ずかしいことではない。
   走っていった2人の友達、あれはいい奴らだろう?」

当時の僕は目線を地面に落としたまま、しかし小さく頷いた。

('A`)「これから君は彼らのところまで歩く。
   そして大丈夫かと訊かれるだろう。何も恐れる必要はないんだ」

きっとうまくいく、と僕は言った。当時の僕は頷いた。

64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:22:18.14 ID:AzJX87Pq0
 
そして僕は当時の僕から離れ、
当時の僕が友人たちと合流するのを見届けた。

当時の僕は友人の1人から大丈夫かと訊かれたようだった。
そして、無事に便意を訴えられたようだった。

なんだよ、そんなことだったのかよ、と
テンションの高かった彼が努めて笑い飛ばしてくれたのを耳に受け、
僕は大きくひとつ息を吐いた。

ふと思いついて財布を開け、
500円硬貨を取り出しコンビニの前にある自動販売機でジュースを買った。
お釣りが機械から吐き出される。
僕はそれを持ってコンビニに入り、買えるだけのうまい棒を購入した。

そしてコンビニの裏手に回り、
フラフープのような輪にジュースとうまい棒の入ったビニル袋をまず通した。
今度はでんぐり返しの形を取らずに済むよう、
輪を掴んで足から先にくぐることにした。

僕は自分の世界に戻ってきた。

65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:26:18.14 ID:AzJX87Pq0
 
タイムトラベルを終えた僕の足元にはコンビニのビニル袋が転がっていた。

僕はタイムマシンを停止させ、丁寧にアスファルトに横たえた。
深呼吸をすると、実によく馴染む空気が僕の肺いっぱいに溜まる。
大きくひとつ息を吐く。駐車場にはワカッテマスの車が停まっていた。

僕はタイムマシンとビニル袋を手に持って車へ向かった。
一歩足を進めるごとに、
まったく違和感のない感触がアスファルトから僕の体を登ってくる。

( <●><●>)「無事済みましたか」

僕が車に乗り込むなり、ワカッテマスはそう言った。

('A`)「済んだよ。待たせたな」

これは土産だ、と僕はビニル袋をワカッテマスに手渡した。
ワカッテマスはその中身を手に取った。

( <●><●>)「うまい棒ですね。こんな大きさでしたっけ」

('A`)「今のものより長いはずだ。不景気は嫌だな」

( <●><●>)「世知辛い話ですね。
        ちゃんと排便を我慢するよう伝えられましたか?」

え、と僕は間抜けな声を漏らした。

67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:29:18.14 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「ちょっと待てよ、何だって?」

( <●><●>)「何か問題でもありましたか?」

('A`)「いや違う、いや違わない。違うかもしれない。
   何だって? 僕がどうするように言ったって?」

( <●><●>)「ですから、排便は我慢するようにとのことです」

僕は中学1年生の『にこにこハイキング』山頂において
母親の作ってくれた弁当を開けた瞬間と同じ規模で絶句した。

ワカッテマスはそんな僕の様子に首を傾げた。

( <●><●>)「あれ? あなたは中学1年生の排便事件について
        修正を施しに向かったわけですよね?」

ああそうだよ、と僕は言った。
これまでそれをモチベーションにタイムトラベルの研究を
行ってきた僕に対していったい何を言っているのだろう。

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:32:18.01 ID:AzJX87Pq0
 
ワカッテマスは確認するようにして僕のトラウマメモリーを掘り起こす。

( <●><●>)「あなたは中学1年生のとき『にこにこハイキング』を行った。
        そこで便意を我慢して我慢して、
        やっぱり我慢はできないと思ってトイレに行ったのでした」

('A`)「そうだよ。そこでチンピラグループと遭遇したんだ。
   小中学生にとっちゃ排便行為は恥だからな、
   あそこでいじり倒され僕へのいじめがはじまったんだ」

やがて僕はドクオと呼ばれるようになった。

このあだ名は既に呼び名として独り立ちしているため、
この名で呼ばれたからといって気を損ねることはないけれど、
それも時と場合による。

僕がクーと呼ばれていた女の子との一連の出来事について
思い起こしていると、だから、とワカッテマスが言葉を続けた。

( <●><●>)「だから、排便は控えるように
        言わなければならないじゃあないですか」

そうだよ、と僕は当然言った。
その瞬間、僕の体温が急上昇し、
毛穴という毛穴から冷や汗が吹き出してきた。

(゚A゚)「だーミスった! 逆言っちまった!」

あなたは何をしてるのですか、とワカッテマスは呆れた様子で言った。

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:35:18.25 ID:AzJX87Pq0
 
僕は即座にタイムマシンのエネルギー残量を確認した。

この時間距離を移動するにはやや心もとない量だった。
起動さえできれば維持することは可能だろうが、
その起動ができるかどうかが微妙なところである。

('A`)「とにかくやるしかないな」

僕はそう言い、車から飛び出した。そして適当な位置まで移動した。
先ほど過去に向かった僕とあちらで鉢合わせることになったら
面倒くさいこと限りないだろうから、そうならないように心がけ、
その視界に入らないであろうところを選別した。

そして南無三とタイムマシンを起動させた。
僕の期待とは裏腹に、タイムマシンはうんともすんとも言わなかった。

ひょっとしたら単なる僕の勘違いで、
時空の捻れはしっかり生じているのかもしれない。
そう思った僕はフラフープのような輪から手を離してみた。

時空の捻れによって固定されていないタイムマシンは重力に従って落下した。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:38:19.13 ID:AzJX87Pq0
 
灰色の天井が見えている。

助手席に浅く腰かけ天を仰いでいる僕に、
ワカッテマスは励ますようにして言った。

( <●><●>)「まあまあ、またあちらに行けば良いだけじゃあないですか」

('A`)「そうだな。そうなんだよな。
   でも、なんだかそれだけじゃあないような気もするんだ」

( <●><●>)「というと?」

('A`)「なんだろう。わからない」

( <●><●>)「よくある間違いですよ。
        2択問題であまりに強く片方だと念じていると、
        なぜかしら違った方を選んじゃったりするものです」

私もそんな経験はあります、とワカッテマスは言った。

( <●><●>)「北の方に車で向かってるときの話です。
        大型の商業施設内にあるご飯どころで休憩をとって、
        いざ出発すると、出口は入り口と違ったのです。
        方位磁針を頼りに、今私は東に向かっているから
        左折したら北に向かうな、左折だな、と念じていたのです」

そしたらなぜだか右折しちゃいました、とワカッテマスは言った。

74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:41:20.59 ID:AzJX87Pq0
 
その後もワカッテマスはいつになく饒舌に自分の体験を語ってくれた。
これはワカッテマスが僕を励ましてくれている
友情と呼ぶべきものなのだろうか、と僕はぼんやり考えた。

パワーウィンドウを少し下げると、車の走る速さで風が車内に吹いてくる。
僕はそのまましばらく冷たい風を顔に浴びつづけた。

やがて僕たちはワカッテマスの家に辿りついた。
車を降り、ガレージを改造して作った僕の研究室へと向かう。

タイムマシンのエネルギー源を取り換え、僕はしばらく
そのフラフープのような輪を見るともなしに眺めていた。

( <●><●>)「どうかしましたか?」

ワカッテマスはそう言い煎れたてのコーヒーを僕に振舞ってくれた。
僕は言葉を濁してコーヒーを受け取った。

('A`)「よくわからないんだ」

コーヒーを一口すすった僕はそう言った。
何がです、とワカッテマスは訊き返す。

それもよくわからない、と僕は言った。

77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:44:17.77 ID:AzJX87Pq0
 
僕はしばらく思考の海に潜り続けた。

様々なことを考えるともなしに頭の中に泳がせていると、
不意にそれまで思いもしなかった考えが生まれてくるのだ。
僕は今までこうして幾多の発明品を作ってきたし、
そうした発明品の中に今回のタイムマシンが存在している。

ワカッテマスと目が合った。

('A`)「なあワカッテマス」

( <●><●>)「なんですか、ドクオ?」

('A`)「さっき僕はタイムトラベルをしたよな?」

( <●><●>)「しましたね」

証拠もあります、とワカッテマスはビニル袋を掲げて見せた。

('A`)「でも、僕には以前この僕と会った記憶がないんだ」

( <●><●>)「どういうことですか?」

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:47:18.16 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「僕の記憶を辿っていっても、
   僕は中学1年生の『にこにこハイキング』で
   見知らぬおっさんに声をかけられた記憶がないんだ」

( <●><●>)「それはそうでしょう。
        あなたはあなたであって、あのとき便意に耐え抜くよう
        助言をされてはいないのですから」

パラレルワールドというやつですね、とワカッテマスは言った。

違う、と僕は否定した。

( <●><●>)「違うのですか」

('A`)「そうだ、違う。
   パラレルワールドなんて存在しない。
   だいたい、そんなものが存在するなら、
   僕が今してきたことなんて何の意味もないじゃあないか」

( <●><●>)「そういう世界があっても良いと思ったのかと」

('A`)「僕は僕の過去を変えたいんだ。この僕のだ。
   だから、必要以上に影響が出ないよう
   僕は一度しかタイムマシンを使いはしないと誓ったんだ」

81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:50:18.33 ID:AzJX87Pq0
 
それは殊勝な心がけですが、とワカッテマスは譲歩した。

( <●><●>)「では、このことはどう説明するのです?」

('A`)「そこだよ。それがわからないんだ。
   そうだ、それがわからなかったんだ。
   お前はなんでだと思う?」

( <●><●>)「私がわからないことはわかってます」

('A`)「何でもいいよ、考えろって」

( <●><●>)「そんなことを言われましても」

忘れちゃうんじゃあないですか、とワカッテマスは言った。

そうかもしれない、と僕は呟くようにして言った。

82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:53:18.07 ID:AzJX87Pq0
 
ちょっと待ってくださいよ、とワカッテマスは言った。

(;<●><●>)「今のは何の科学的素養もない私が
        適当に言ったことですよ。
        真面目に受け取られたら困ります」

('A`)「いや、そうなのかもしれない。
   僕は体験したから知ってるけど、
   自分と接触することにはとてつもない不快感が伴うんだ」

( <●><●>)「そんな大きな不快感は忘れられないのではないですか?」

('A`)「自然には起こりえないネガティブな体験をしたことによって、
   精神的なバランスを取るために、
   僕たちは記憶を改ざんするのかもしれない」

( <●><●>)「ばかばかしい。
        何の根拠があって言っているのですか?」

('A`)「根拠か」

そうだな、と僕はワカッテマスの目を見て言った。

根拠はないこともない。

そう言うと、ワカッテマスは僕から目を小さく逸らした。

84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:56:17.74 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「根拠か。根拠は、お前だ。お前の態度だ」

そう言ってやったらワカッテマスは
どのような反応を示すだろうと僕は思った。

とぼけたようにして僕に何かを訊き返してくるだろうか。
かさにかかって否定するだろうか。

それともそのどちらでもないのだろうか。

答えを知るには実際にそう言ってやればよい。
しかし、僕がそう言うことはないということが僕には明確にわかっていた。

これは予感なのかもしれない。
あるいはもっと確信的なものなのかもしれない。

いずれにせよ、僕はその点を指摘してはいけないと知っていた。

87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 20:59:33.54 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「僕は今、絶対的なものについて考えている」

僕はワカッテマスにそう言った。

絶対的なもの、それは運命と言い換えてもよい。

仮に僕たちがどのような行動を取ったとしてもその結果が訪れる、
といった絶対的なものが、この世にはいくつかあるのではないだろうか。
それらが世界に秩序をもたらしているのではないだろうか。

そして、そうしたいくつかの絶対的なものを取り巻くようにして、
そこに至るための様々な相対的なものが生じるのではないだろうか。
それが過程であり、僕たちの人生の大半を占めるものだ。

過程は変われど結果は不変だとするならば、
過程や方法などどうだっていいのだという論調は
きわめて正しい考えだと言える。

どうなのだろう、と僕は思った。
すべては僕のたわけた推測に過ぎないのかもしれない。

しかし、と僕は同時に思う。
それが真実と大きくかけ離れたものであるなら、
僕の目の前に立つこの男をどうやって説明すればよいのだろう?

89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 21:02:20.31 ID:AzJX87Pq0
 
('A`)「なあワカッテマス、
   お前はどうして僕を支援してくれていたんだ?」

僕は言葉を選んでワカッテマスにそう訊いた。
ワカッテマスもまた言葉を選んだ様子で僕に答えた。

( <●><●>)「あなたの研究に興味が沸いたからですよ」

('A`)「興味が沸いたんだ?」

( <●><●>)「ええ」

見届けようと思ったのです、とワカッテマスは言った。

('A`)「必要はあったのか?」

( <●><●>)「どうですかね。わかりません」

本当にか、と改めて訊くことを僕はしなかった。

その代わりに先ほど煎れてもらったコーヒーを飲み干した。
コーヒーはすっかり冷めてしまっていて、
簡単に飲み干すことのできる温度になっていた。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 21:05:17.81 ID:AzJX87Pq0
 
僕は机の上からフラフープのような輪を手に取った。
そして万力のような力を込めて
ある特定の部分を慎重にゆっくりと調節していった。

ワカッテマスは無言で僕の行動を見つめていた。
僕はあえて何の説明もしなかった。

パラレルワールドが存在しないとすると、
必ずタイムパラドックスの問題に行き当たる。
僕がタイムマシンを使って過去の僕を殺害すると
僕はどうなってしまうのか、といったような時間的な矛盾である。

そのためフィクション界にはタイムパトロールの概念が存在する。
そのような矛盾を生じさせないよう世界を調節する役割だ。

僕は先ほどワカッテマスはそのような役割を
担っているのではないかと考えていた。

しかし、この世に絶対的なものが存在するとすると、
そのような役割は必要ないのではないだろうか。

世界は絶対的なものを中心にして
相対的なものによってデザインされると考えると、
矛盾を孕むような行動は、その柔軟に変化する相対的なものによって
包み込まれてしまうのではないだろうか。

94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 21:08:17.83 ID:AzJX87Pq0
 
たとえば、今この瞬間、過去に行って自分を殺害する気は僕にはない。
自分でも不思議なほどにその結果に対する興味が沸かないのである。

これからも永久にそのような衝動が僕に働くことはないのかもしれない。
あるいは、行動に移そうとすると、
何らかの働きによってそれが妨害されてしまうのかもしれない。

数学者がどんなにがんばってもある数をゼロで割った結果が
定義されていないように、否応無しにタイムパラドックスを引き起こすような
行動を僕たちが本当に取った場合の結果は定義されていないのかもしれない。

結果が定義されていない行動は取れない。
ゆえに、その結果を考えることに意味はない。

果たして本当にそうだろうか?

そのような疑問を持ちもするけれど、
僕はなんとなくこの考えに対して自分の中で納得していた。

('A`)「車を出してくれないか」

僕はワカッテマスにそう言った。

95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/03(火) 21:11:18.02 ID:AzJX87Pq0
 
僕はワカッテマスの運転する車の後部座席に腰かけ
タイムマシンを両手で大事に抱えている。

フワフープのような輪の大きさは中学1年生のとき体験した
『にこにこハイキング』の時点に移動できるよう調節されている。
僕の計算に間違いはないはずだった。

窓の外を流れる景色をぼんやりと眺め、
僕は様々なことを頭に思い浮かべてはそのまま
ゆるゆると遊ばせつづけた。

( <●><●>)「先ほどの駐車場に停まれば良いのですか?」

ワカッテマスが車を右折させながらそう言った。
僕はルームミラー越しに頷いた。

やがて僕の通っていた中学校を通り過ぎ、
かつてもっとも慣れ親しんでいた曲がり角を曲がった。
しばらく進むと先ほどタイムトラベルを行った駐車場に着くだろう。

ひとつ教えて欲しい、と僕は言った。
なんですか、とワカッテマスが答える。

('A`)「僕は当時の自分に何て言ってやったら良いんだ?」

しばらく進み、先ほどタイムトラベルを行った駐車場に到着してもなお、
ワカッテマスは僕の質問に答えなかった。

             おしまい


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