3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:14:16.24 ID:QVjrsCOo0


1.刷人殺人



自分が平均より幸せになれない世界なんて価値がないと想うし、
自分以外の誰かが最上級の至福を攫取したとしても関係ないと思う。

かといって別に格段幸せになりたいわけでもない。

第一なれるはずがないし、
なれる道理もないし、
そもそも願わない。

仮に今の自分が客観的視点から見て幸せであったとしても。
自身が主観的に感じ取っていなければ、気付けていなければ、なんの意味も存在し得ない。


そんなことを考えていたら講義が終わった。
ラストの。

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:15:27.32 ID:QVjrsCOo0
つまるところ僕はこの九十分間大学構内の一室にて教授に教えを請うていたのであり、
ということは先程の思考はまったくこの時間帯に相応しくない内容であり、
なぜかと言えばその偉大なる教授様のお話が僧の説法級の威力を誇っていたのであり、

要するに退屈のあまり授業終盤からふざけきった独りよがりな空想に浸っていたという次第である。

ちなみに科目は文系であるのにどういうわけか時間割に組み込まれている線形代数学だった。
実にどうでもいい。


「うーい、途中でモスに寄って帰ろうぜぃ」

机上の筆記具を片づける僕の背中に、綿や羽もかくやな軽い声が飛んでくる。

僕にあてられた声ではない。
僕の隣へのものだ。

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:17:19.57 ID:QVjrsCOo0
「おまっ、モスて! 未だにモスてっ!
 こっちじゃモスバっ、郷に入ってはー、郷に、えー、私についてきたまえとかなんかそんな感じの言葉」

「うっせーよ。日本語ねじってんじゃねーよ。
 つーかその略称のほうがローカルかつマイナーだっての」

「ってかさー、お前一年以上こっちで暮らしてんだからいい加減順応しろよ」

「俺割と信念曲げないタチなんで」

「信念なんて死ね」

「もーいいじゃん行こうぜ面倒くせぇ」

席を立つ右横の男子生徒と真後ろの席の男子生徒。
両者とも僕と同じ、本当に丸っきり同じ大学生であるけれど、しかし僕とはまったく違う空間の住人。
それはベクトルからして、或いは次元からして根本的に異なっているに違いない。
だってそうだろう、彼らには友人がいるし、おそらく他にも多くの友人を有しているであろう。

しかし僕にはいないのだ。
あまりにも決定的な差異だった。


ふと、静寂。
教室中に漂う空洞めいた雰囲気。
気付けば室内に人はいなくなっていた。慌てて自分も飛び出した。

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:18:36.60 ID:QVjrsCOo0
僕の通う大学は小高い丘の上に建立している。

大学が属する街そのものは、東京大阪といった大都会にはさすがに及ばぬものの、
世間一般からは中規模都市として認識されているし、実際そうカテゴライズされるのだろうが、
敷地近辺の景観だけは適度に自然が融和されていて中々に見栄えがいい。

それはもう本当に、至極どうでもいいことではあるのだけれど。

どんなに優れた眺めであろうとも、僕にはひとときの気休め程度にしかならないのだから。


明るい話し声。

講義が終わってからも、廊下に出てからも、校舎を抜けてからも、キャンパスの横断を始めてからも、
更にバス停へと向かう下り坂の上でも、四方八方至る所から絶え間なく続いている。


それらは決まって僕の耳には痛々しく聴こえる。
そして僕の胸は発作のように痛み出す。

苦しいのだろうか? それとも悔しいのだろうか?

少なくとも羨望ゆえではない。
僕は彼らのことを羨ましいとは思わない。いや、思いたくもない。
思ってしまったが最後、劣等感が極限まで肥大して、文字通りコンプレックスの塊と化してしまうのは目に見えている。

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:19:56.49 ID:QVjrsCOo0
昔からこうというわけではなかった。
中高の頃はそれなりに腹を割ったり腰を据えたり膝を交えたりして話せる友達もいたのだ。

僕が十八まで生まれ育った土地は、それはそれは長閑な、
テレビ東京の特集番組あたりで紹介されてもいいぐらいの田舎だった。

そこから、都会へ。

急激な環境の変化が僕にもたらしたのは、一語で言ってしまえば戸惑い。
学舎内で出会う全ての人が異邦人に見えて、いよいよ馴染むことができなかった。

だけれども、そもそもの原因発端は僕自身にある。
町ではなく街へと行きたい。今よりなお若い時分にはそんな馬鹿げた懸想を抱いていたのだ。
危惧も覚えず、恐懼も感じず。
今思えば愚かだ。
いろんなモノを捨ててしまってまでして手に入れたいものなど特別なかったというのに。

10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:21:25.99 ID:QVjrsCOo0
そういった過程を経て、現在の空っぽな僕が作られている。
因果応報。自業自得。猿猴捉月。

( ´ω`)「あー」

みんな死ねばいいのに。

(;^ω^)「はぁ」

油断してもしていなくても、楽しげな会話はふとした途端に聞こえてくる。
まさしく四面楚歌だ。
しかも降伏のしようがない。ただ一方的に不可視不可避の暴力に圧殺されているだけ。
どうしろと。

そんな瑣末な思考に寄り道をしていたらバス停を通り過ぎそうになっていた。

時刻表を参照すると次の便は定刻十七時十一分。
で、現在の時間は十七時ちょうど。
結構間隔が開く。
試しに直前の便の出発時刻を調べると――十六時五十八分発だった。

(;^ω^)「出たところかお……」

腕時計から注目を外して、力なく金具の錆び切ったベンチに腰を下ろす。

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:23:35.69 ID:QVjrsCOo0
( ´ω`)「はーあ」

また溜息を吐いてしまった。
溜息は果報を逃がすと言うが、元々持っていない場合はさてどうなるのだろうか。

( ´ω`)「早く終わらないかお、何もかも」

などと効力のない呪詛を唱えてみたところで何も変わらない。


いつもそうだ。
いつだってこの通りだ。

くだらない。
つまらない。
面白くもなんともない。

朝起きるたびに暗鬱になって、
昼過ごすたびに卑屈になって、

こうした鬱屈とした気分を一年半もの間毎日のように味わい続けているのだ。


呪いかよ。
たまには青々と生い茂る木立のように鬱蒼としてみたいものである――いやもう秋も本番だけど。

12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:24:47.11 ID:QVjrsCOo0
遠くでごうと私鉄沿線の走る音がした。
いややっぱりJRかも知れない。
耳だけでは判らない。聴覚に限らず、感覚というのはただひとつだけでは誤認を招きやすい。
今こうして触れている世界も、本当は著しく虚ろなものなのかも分からない。

いやそれは僕だけか。
僕の世の中に対する見方が素晴らしく虚無的主義であるだけか。

気分が一層ひどくなる。


しばらくして、バスが来た。
その便に乗車して発車して自宅付近の停留所で下車した時には、早十七時半目前。
十八時からは近所の中古ゲームショップでアルバイトがある。
もっとも今日は三時間ほどの短いシフトだが。

とはいえサボタージュするわけにもいかないので急がなければならないのだが、
その前に一旦家に戻って荷物を置いてから行くことにした。
自分にとっては、提げているバッグに詰められた教科書類が本来の質量以上に重く感じてしまうのだ。

冷えた麦茶も飲みたいし。

13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:26:22.71 ID:QVjrsCOo0
そんなわけで、帰宅。
自慢ではないけども、僕が生活する住居というのは、
街の中心からはちょいとばかし離れてはいるがそれなりに立派な拵えの一戸建てである。

まあそれにはいろいろな事情やら経緯があるのだが、その辺りのことは後々に回すとして――

扉に手をかけると鍵がかかっていた。

どうやらまだ、『あの人』は帰ってきていないらしい。

(;^ω^)「うーむ……」

なんというか、かんというか、嬉しいような、嬉しくないような。
勘繰るほどに不吉なような。
当然これらの思惟はすべて『あの人』帰還後の僕の身を案じてのことだが……。

(;^ω^)「もしトラブルでもあったんなら、また不平不満をぶつけられるお。肉体的に……」

なんとなく。

この家に近寄っているだけで薄ら寒くなったので、踵を返してそのままバイト先へと向かった。

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:28:16.39 ID:QVjrsCOo0



(#゚Д゚)「おいおっせーぞ内藤! もう五時五十分だろ、アホ!」

裏の勝手口から店内に入ると、ほぼ同時に作業エプロン姿のギコ先輩から大音量の叱責が飛んできた。
何度見ても染めムラの著しい茶髪頭が視覚によろしくない。

(;^ω^)「いやでも、一応定時には間に合ってますお」

(,,゚Д゚)「常識的に考えて前入りしとけっつーの、非常識が」

それはその通りなのですが、こちらにも優先すべき学業というものがありまして。
そう弁解したかったのだが、しかし口にはしなかった。
口に出したが最後、鼓膜が完全瓦解するまで怒鳴られること請け合い。

その後先輩は精神的にくるネチネチとした愚痴モードへと突入。

(,,゚Д゚)「ホント使えねー奴だなお前。
    仕事も大してできねーし、愛想も悪いし、愛嬌もないし。
    そえに加えて阿呆。しかも痴呆。どこまでも鈍間。いつまでも頓馬」

(;^ω^)(ひでー言われ様……)

17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:30:07.41 ID:QVjrsCOo0
まあ慣れたことだが。
というか、シフト交代先の人、僕が到着する前にサヨナラしちゃってるし。

( ^ω^)「まさか僕よりバイトに身を入れていない人がいるとは……」

(,,゚Д゚)「底辺で争ってんじゃねーよ」

先輩が丸めた古雑誌で僕の後頭部を叩く。かなり強めだったので、相応に痛い。

(;^ω^)「いや相当に痛いですお!」

(,,゚Д゚)「うっせーバーカバーカ!」

反論が小学生並みのボキャブラリーだった。
先輩はどっかりと横着な座り方でパイプ椅子に腰を預ける。

(,,゚Д゚)「殴られるほうに問題があるんだよ。
    なぜ殴られたのか、なぜ殴られるに至ったのか、そいつを考えてろ!
    あれだ、虐められるほうに問題があるとか天下の日教組様もおっしゃってるだろ」

(;^ω^)「そんなご無体な……」

(,,゚Д゚)「黙らっしゃい。あとな」

一度言葉を切り、先輩は頭を左右に揺らして首の骨をポキポキと鳴らした。

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:33:21.28 ID:QVjrsCOo0
続けられた語句はそれなりに心苦しさを覚えるものだった。

(,,゚Д゚)「ニヤニヤしてんじゃねーよ。笑ってりゃイコール愛想がいいってわけじゃねーんだぞ。
    暗いくせに面だけはいっちょまえに浮かれやがって」

(;^ω^)「そう言われましても地顔ですんで」

(,,゚Д゚)「地顔? 赤ん坊の時からそれかよ」

( ^ω^)「へぃ」

(,,゚Д゚)「生まれながらにしてムカツク人間だったんだな。エリートか。
    やっぱ俺内藤のこと大嫌いだわ」

僕もです。
とはもちろん口が裂けても言えない。

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:35:16.19 ID:QVjrsCOo0
(,,゚Д゚)「ほれ、もう六時だ。レジつけレジ」

(;^ω^)「えー……」

僕は露骨に嫌そうな表情を作る。
先輩からはどうにも「一緒に働こうじゃないか!」という助け合おうぜ成分が見受けられない。
つまり、僕一人でレジ打ちと商品整理と接客を同時にこなすことになるのは明白だった。
なので、躊躇い。

すると先輩は何を思ったかやたらめったら静かなトーンでつらつらと語りだした。

(,,-Д-)「もしもこの俺が――」

ああ、違う。ぶつぶつか。

(,,-Д-)「この店の中で五番目ぐらいの権力しかなかったら、立場上大差ないお前に命令する筋合いは失せる――。
    だか只今店長はいない――そして俺の唯一の先輩だった人は先月辞めた――。
    それはすなわち――この俺が現時点現時間における最高権力者であるということ――。
    その俺に歯向かうということは――もうこれ以上言う必要はないと思うが――」

(;^ω^)「分かりました、分かりましたお」

なわけないだろうと心中呆れたが、
たぶん僕が観念するまでこの有難さ皆無の念仏が続くだろうから早めに折れておく。

20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:36:41.78 ID:QVjrsCOo0
とことことロッカルームから出て店番につくエプロン装備の僕。

こんな立地の悪い場末の中古ゲーム屋に平日そう客が押し寄せてくるなんてこともないので、
注意力散漫にぼんやりとレジの前で立ち尽くすこと――三時間。

(;^ω^)「早っ!」

本日のお客様ゼロ人。

( ´ω`)「だったら先輩みたいに裏で休んでれば良かったお」

あのお方はサボれるタイミングを察知する嗅覚だけは尋常じゃなく鋭い。
妙に感服する。

就労を終了した僕はそそくさと控え室へと戻り、掛けていたエプロンを脱いでロッカーへと押し込む。
先輩はパイプ椅子の上で胡坐をかきチョコバー片手に何ヶ月も前の雑誌を未だに読んでいたが、
僕の気配を感じ取るとすっと顔を上げた。
いかにも嫌味を投げつけたげな表情で。

22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:37:39.68 ID:QVjrsCOo0
(,,゚Д゚)「直帰かよ。はえーな。来るのは遅いくせに帰るのは光速なんだな。
    世間様に知られていないところで音速を超えようとする奇特な人類なんだな」

( ^ω^)「そりゃあ、だって……」

長居したって仕方がない。
この場所にしたって僕からしてみれば、息苦しさは大学よりマシ、といった程度でしかない。
壁にかけられた時計は刻々と針を進めている。

(,,゚Д゚)「俺は閉店時間までいるっていうのによー、気楽な奴だな」

( ^ω^)「そういうシフトですお」

(,,゚Д゚)「分かっとるわ!」

僕はひとつ長い息を吐き出すと、ロッカーにしまってあったバッグを拾い上げて店を後にした。

24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:39:05.45 ID:QVjrsCOo0
ゲームショップからの帰り道はひどく平坦に思えた。

現に起伏も凹凸も傾斜もまったくない目を見張るほどに真っ平らな路面ではあるのだけれど、
歩けば歩くほどに面白みのない道筋に感じ受けられる。

代わり映えのしない景色。
心地。
街の匂い。

脇を一台の軽自動車が抜けていく。

手首に巻いた時計を見る。
二十一時半を過ぎている。
店から自宅まではそう離れていないはずなのに、もうこんなに歩いたのか。

僕は本当に進んでいるのか。

それとも淀んでいるのだろうか。

25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:40:24.55 ID:QVjrsCOo0
右を見れば見慣れた表情の建物があり、
左を見ても見慣れた表情の建物がある。

それらは決まって無表情だ。
ニコリともしないし、
怒りもしない。

空には満月が浮かんでいた。


眩暈がした。


僕はなんでここにいるのだろう。

今夜に限らず、時折そう不思議に思う。
自宅へと向かう足取りはいつもと同じように、いつにも増して重たかった。

26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:41:48.82 ID:QVjrsCOo0
しかし帰宅して玄関をくぐった瞬間、ある程度は予測していたことだが、幻惑は物凄い勢いで吹き飛んだ。


「おっせぇぇぇぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉぉっ!」


怒号と共にひゅんひゅんと大気を切り裂きながら飛んできた縦回転するスプーンによって。

咄嗟に回避――
しようと試みたはいいが実際に僕が起こしたアクションは後方にすっ転ぶようにしてのけぞっただけ。
というか実際に転んだ。
転んで、すぐ後ろでガィンと硬質かつ鈍重な音がするのを耳にした。

(;^ω^)「ホームアローンかお……」

呑気にも最初に思いついたのがそんなことだった。

さようなら感傷、こんにちは現実。

どうやら『あの人』は疾うにご在宅のようである。

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:43:42.11 ID:QVjrsCOo0
僕はひとまず胸を二度三度撫で下ろす。
滅入るような、むしろほっとするような、なんともどっちつかずな心持ち。

立とうとしたが立てないので、くだけた腰はそのままに、首だけを動かして飛来物の存在を再度認めた。

そこには確かにスプーンがあった。


そしてそれは、
本当に見事なまでに、
僕が背にしていた玄関の扉に『突き刺さっている』。


いや――いやいやいや。

(;^ω^)「死ぬって……」

如何様の力を入れて投げればこんな何の変哲もないアルミスプーンがこれほどの攻撃能力を持てるのか。
ああでも――刺さった箇所をよく見れば普通のスプーンではなく先割れスプーンだった。
箸をうまく使えない幼稚園児がよく使っているような。
だからってちっっっっっとも合点がいくはずがないけども。

28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:45:32.49 ID:QVjrsCOo0
第一回転していたことが解せない。

原理としては中世から近世にかけて忍者が用いていたとされる手裏剣と似たようなものなのだろうが、
あの手の金属兵器には四方ないし七方八方と複数の切っ先が与えられている。
無論刃の部分が多ければ多いほど傷は浅くなる傾向にあるが、
だからと言って単体で十分な刺傷効果を発揮する棒状手裏剣は一直線に放たねばならないため命中率に難がある。

だが今回投ぜられたのは単なる先割れスプーン。
刺さる面積も角度も少なく、部分も一ヶ所しかなく、それ以前に元来スプーンは鋭利なものではない。

なんで回転する必要がある?
というかまっすぐ投げても普通突き刺さるわけがない。

理論的には可能性のある結果であっても、
元々の前提がまったくのデタラメであれば、絶対にありえないはずなのだ。
常識的に。
または、力学的に。

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:46:35.29 ID:QVjrsCOo0
もしや僕の目の届かぬうちに特別な修練でも積んだのだろうか。
それこそ隠し芸の分野だ。馬鹿馬鹿しい。


从 ゚∀从「くだらないこと考えてんじゃねーよ頭茹だっちゃうぞおバカちん」


そう言って『あの人』は――『ハインさん』はケラケラと笑いながら、へたり込む僕のほうに歩み寄ってきた。

从 ゚∀从「やー投げてみたはいいけどスプーンって刺さるもんなんだね。びっくりだわ。
     手に持ってたから適当に迎撃武器にしたけど」

(;^ω^)「いや普通は刺さりませんお……というか適当だったんですかお」

从 ゚∀从「そっ、適当に投擲したってワケなのさー」

くくく、と相変わらず嬉しげな笑顔のハインさん。
とても満足そうである。

だが僕の瞳には悪意しか映らない。

32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:48:30.21 ID:QVjrsCOo0
(;^ω^)「なんとまぁ……」

从 ゚∀从「んー? まーた鬱病みたいな声色作っちゃってやがんの。
     後期日程始まったばかりなのにもうギブアップ寸前って感じ?
     なんでそんな赤ん坊の微笑みみたいな面で陰鬱に浸れるのかねぇまったく」

(;^ω^)「ほっといてくださいお」


もうここまでくれば分かるだろうけれど。

僕が先程から『あの人』とあたかも某ヴォルデモート卿かのように呼んでいたのは、
まあ本質的には似たようなものではあるのだが、
今し方スプーン射撃などという新時代的な殺害方法を実行し、
かつ悪びれもせずにケタケタと愉快そうに笑っているこのお方のことである。

彼女は同居人であり、従姉妹である。

34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:50:41.67 ID:QVjrsCOo0
( ^ω^)「いつ帰ってきたんですかお」


既にパジャマ姿になっている。ということはつまり入浴は済ませてあるということか。
さらりと伸びた髪はほとんど乾いている。
化粧っ気のない素肌はより瑞々しさを増している。
毛髪の乾燥にはそれなりに時間がかかるから、今より一時間前には浴室を出たのだろう。
ハインさんはドライヤーではなく自然乾燥派なのだ。
だとしたら遅くとも二十時から二十一時までの間には帰宅しているはず。
食事はいつだろう。
外食で済ませたのならばその時間でも問題ないが、家で食べたのだとしたらそれよりも早くなくてはならない。
少なくとも僕が一旦自宅に寄った十八時以降であるのは確定。
その前に普段よりも遅い帰宅なのだから、おそらく諍いでも起こしたのだろうと推測できるので――


と、きっと碌に答えてくれそうにないだろうから自力で推理を働かせる僕なのであった。

从 ゚∀从「そりゃいつかは帰るだろ。何言ってんの。思考放棄? 
     ってか『ただいま』忘れてんぞ。『ただいまなさいませ、ご主人様☆』がベストだけど」

案の定である。

36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:53:21.94 ID:QVjrsCOo0
この人の名前はハインさん。
姓は高岡。
玄関前にかかっている表札に書かれてある苗字と同じ。

つまりこの家はハインさんの自宅なのであり、僕はそこに下宿、というか居候させてもらっているという状態なのだ。

元々僕はこっちに出てくる際一人暮らしをしようと決めていたのだが、
両親からの「家賃分仕送りするのが勿体ない」というお言葉によりあえなくその計画は頓挫、中止。

更に、

(ちょうどあの近辺に兄貴の娘のハインちゃんが住んでるだろう。そこにお邪魔させてもらえばいい。
 家賃より建売住宅を買ってそのローンのほうが安いからってだけで二十そこそこで一軒家を持つような、
 あー、良く言えば豪放磊落な、悪く言えば頭のちょっとアレな子だから、たぶん了解してくれるだろ)

という父さんの思いつきをきっかけに、
そのまま特に何の障害も反対もなくスムーズに僕の新居地が決まったのであった。

38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:55:54.12 ID:QVjrsCOo0
それまで僕は話には聞いたことがあっても実地にハインさんと会ったことはなく、
どころか、その親である伯父さん夫妻とも対面したことがなかったから、
すなわち完全に未知なる世界なわけで、
一体どんな生活が待ち受けているのだろうかと不安混じりにあれやこれやと夢想妄想空想を繰り広げたが、

その中で最もイメージングの比重を占めていたのは、

やはりというかなんというか、

当然というか大自然の摂理というか、


『ひとつ屋根の下でお姉さんと二人暮らし』


という一点だった。

そりゃあまあ、僕だって高卒当時は今と違って希望に溢れる健康な十代男子だったわけですから、
同年代の皆様が抱く程度にはよからぬことを誇大気味に想像していたのは否定しませんよ?
脳髄が隅々までピンク色に染まっていたのはこれはもう揺るぎようのない真実。

しかし、所詮夢は現実じゃないから夢なわけで。

39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:57:15.85 ID:QVjrsCOo0
確かに、ハインさんは僕が想定していたラインを遥かに超える美人ではあったのだが、
その印象を一掃するほどに、強烈にファンキーな女性だった。

まず最初の挨拶。駅で後ろからヘッドバッドをお見舞いされた。

初対面の人に対する挨拶としては中々に刺激的かつ情熱的な方式だ。
目から火花を飛ばす僕にハインさんはこう言った。

从 ゚∀从「やっほーおじさんから聞いてるよん。今日からアンタうちで飼うことになってるらしいからヨロシク」

嗤いながらの台詞だった。

从 ゚∀从「先に言っとくけどアンタの使っていい部屋は一階の一室だけね。二階には上がってこないこと。
     上がってきたらぶち殺すかんね。二週間ぐらいかけてじっくり。主に熱した手斧とかで。一日一パーツ。
     あ、知ってる? 刃物って温めとかないと切りづらいんだぜ? 肉って脂多いから。
     あと変なことしたらその瞬間絶命させるから覚悟しといてねー(にっこり)」

出来得る限り楽観的に捉えようとしたが、どうやっても殺戮宣言が本気としか受け取れなかった僕。
もうこの時点で夢見ていた淡い日々は完膚なきまでに、ミクロンレベルの細かさに破砕された。

41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 22:58:44.87 ID:QVjrsCOo0
まあそういった出来事はややもすれば浮かれていた自分への戒めになったと言えるかも知れない。
ただその教訓を生かせないのが僕という人間であり、
大学ではそれ以上に夢を打ち砕かれて、いや自ら砕いてしまったのだが。

そのせいもあってかこの家はまだ僕にとっては安息できる場所だ。
外よりは遥かにいい。

それにハインさんにしたって相変わらず畏怖に満ちた存在ではあるけれど、
転居当初よりは絶対的な拒絶の念は抱いていない。
たぶん向こうは抱いているんだろうけど――


从#゚∀从「一人で勝手に物思いに耽ってんじゃねぇ! そんなんはどーでもいいから!」

ごちん、と頭上で音がした。
次いで痛覚。
ハインさんが油断しきっていた僕の頭頂部に縦水平チョップを喰らわせたのだ。

42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:00:15.93 ID:QVjrsCOo0
从 ゚∀从「それより、アタシはもう外で食べてきたからさぁ、飯食いなよ飯。作ってないけど」

( ^ω^)「メシ?」

お腹の辺りをさすってみる。
最後に食べ物を口に入れたのは十二時半ごろだから、確かに胃の中に何かが詰まっているような感覚はない。

とはいえ料理の匂いはまったくしてこない。
何やら違う、脳幹がくらくらとする作為的な香気――
たとえば、マンションに据えられた狭いエレベーターの中のような――

(;^ω^)「ってハインさん、また香水変えたんですかお」

从 ゚∀从「そうだけどそれは七千光年離れた恒星が爆発することぐらいどーでもいいことじゃん。
     分かるの七千年後だしってか」

( ´ω`)「ということはその香水は七千円したってことですかお」

从 ゚∀从「気にすんな」

何が面白いのか理解が及ばないがハインさんは歯を見せて笑う。
僕もハインさんも仕送りなどは碌に貰っていないから、家計は互いのバイト代で賄わなければならない。
述べ忘れていたがハインさんはフリーターである。

43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:01:13.98 ID:QVjrsCOo0
( ´ω`)「お風呂上がりに香水をつけるなんて……勿体ない……」

从 ゚∀从「バーカ。おバカ。マリリン・モンローはシャネルの五番をつけて寝てたって言うじゃない」

(;^ω^)「マリリン・モンローの稼ぎと僕らの稼ぎには、それこそ星間クラスの差がありますお」

从 ゚∀从「いいじゃんさー、買ったばかりだから着用してみたくなるっていう乙女心が分からんかね」

( ^ω^)「お……と……め……?」

もしかして、かの乙な女、つまり若々しく愛らしい女性と書く『乙女』のことを言っているのでしょうか。
違和感がむんむんと。

从 ゚∀从「なに? なんか文句ある?
     大体お金が商品に換わった時点で所有権は完全にアタシに移譲されてんだけど?
     というかこれだって出たばっかの貴重な貴重な自分のお給料から出してるんですけども?
     それでも文句とかつけちゃうの、ボクちゃん? ん?」

(;^ω^)「いえ」

ずいと顔を寄せて凄まれて、ついつい志願兵のような実直さで背筋を正す。

45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:03:30.87 ID:QVjrsCOo0
从 ゚∀从「つかね、なんで風呂入ってること見抜いてんのさ。
     まさか脱衣場に盗撮カメラとか仕掛けちゃったり?
     いやーん、ブーンちん変質者ー。ゆくゆくは犯罪者ー。死刑の時は執行人に立候補しちゃうよん。
     アタシ絞首台の床が抜けるボタンを押す係ね」

(;^ω^)(そのカッコ見りゃ分かるに決まってるじゃないですかお)

無言を返す僕。
ハインさんはパジャマのボタンを掛け違えているので、
胸元が必要以上に空いていて、その、目のやり場に困ります。
この人は忠告しておきながらに無防備だ。

从 ゚∀从「そんなことよりさ――」

ハインさんはくいっと人差し指を突き上げた。

从 ゚∀从「もう十時なりかけじゃん。腹減ってんだろ。
     働いてなくても腹は減るって偉大な格言があるぐらいなんだから、
     ブーンちんみたいな人未満でも人並には空腹になるっしょ。
     ダイニング行ってきなよ。作ってないけど」

( ^ω^)「いや……やめときますお」

从 ゚∀从「ん、夕飯食べないのかい? 作ってないけど」

( ^ω^)「あんまり食欲ありませんし」

46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:05:17.22 ID:QVjrsCOo0
僕の素っ気ない返事にハインさんは「はぁぁぁ」と大儀そうに息を吐き出し、左手で頭を掻いた。
長いアッシュブラウンの髪が乱暴に揺れる。

从 ゚∀从「もー辛気くさいなーアンタは。ホント。
     親戚一同丸ごと死に絶えちゃったみたいな態度して」

(;^ω^)「ちょ、親戚一同って、ハインさんも含まれてますおっ」

从 ゚∀从「あーそれね。それは『ただしハインちゃんを除いて』って注釈が付く。
     特例特例。特例ってか、別格?」

(;^ω^)「設定追加ですかお」

从 ゚∀从「ふふん、だってアタシは死なないからね」

本当にそんな気を起こしてしまうから恐ろしい。
ハインさんはまた楽しそうに笑った。
胸の内側が闇に覆われている自分にしてみればこの人の陽気はあまりにも眩しすぎる。

47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:06:19.06 ID:QVjrsCOo0
从 ゚∀从「じゃ風呂は?」

( ^ω^)「それもやめときますお」

从 ゚∀从「やぁやぁ、上司の湯を受けられないとはなんたることだ」

冗談めいた口調でにこやかに尋ねてはいるが、
ハインさんの右手は頸動脈を引き裂きかねない勢いで僕の首をがっちりと捕らえている。

(;^ω^)「いやっ、あの、今日はちょっと疲れていて……」

从 ゚∀从「ふーん、そうかいそうかい。まっいいけどさ。
     アタシは聖人君子みたいなもんだから許したげよう」

今日のハインさんはハインさんにしては親切なので固辞しづらかったが、結局入浴も夕食も諦めた。
疲れているというのは本当だ。
しかしながらその疲れというのは肉体的にというよりはむしろ、精神的な疲労の蓄積によるものだと思う。

48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:08:34.96 ID:QVjrsCOo0
ハインさんは僕から手を放すと、一回僕の肩をぽんと叩いて、そのまま階段を上がっていった。

一人廊下に残される僕。
急に静かになる。
無自覚に漏らしてしまった息の音だけが響く。


ひとりになると、忘れていた鬱々とした気分に再び襲われる。


やれやれだ。
どうしてハインさんはあそこまで人生楽しそうに生きていられるのだろう。
何があろうとも、たとえ地球上の生命体の九割が死滅しても、惑星自体が瀕死に陥っても、
あの人は愉快に笑いながら過ごせてしまうに違いない。

ギコさんにしても、ハインさんにしても、誰かといる時はほんの少しだけでも安寧が訪れる。
自分で気付いていないだけで、それこそが喜怒哀楽でいうところの『楽』なる感情なのかもしれない。
けれど、それはあくまで他者からの付与に過ぎないものであり、僕自身は一向に不安定なまま。
そのことだけが一定している。

僕が僕でいる限り何も変わらないのだ。

50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:10:58.64 ID:QVjrsCOo0
( ^ω^)「……ふぅ」

一階リビング横の、僕に割り当てられた唯一の部屋に引っこみ、ごろんとベッドに身体を投げ出した。
しばらくそうした後、パソコンの置いてあるデスクへと向かい、起動。
画面の明るさで手元が照らされたのでようやく気付いたが自室の照明をつけていなかった。
慌ててスイッチを入れて室内を光で満たす。
ついでに部屋の施錠もしておく。

失念していた一連の作業を終えると、パソコン前に戻りすぐさまネットブラウザを立ち上げる。
そしてブックマークから『2ちゃんねる』の項目を探し出し、クリック。
板一覧から『ニュー速VIP』と書かれた板を選び閲覧する。


こここそが、僕の唯一無二といっても過言ではない鬱憤を曝け出すことのできる場である。


(;^ω^)(それがインターネット上の掲示板というのが悲しいけど)

自嘲し、苦笑する。

51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:11:46.62 ID:QVjrsCOo0
この板はつい最近、具体的な期間でいえばふた月ぐらい前にできたばかりの新しいスペースで、
だから所謂『新参』である自分にも気兼ねなく利用することができる。
もっとも過度の馴れ合いはご法度らしいが。

それにしたって時々突発的に現れる悶絶必至の内容のスレッドには書き込まずにはいられない。
中毒的な妙がある。

ただ今日は、スレ一覧をざっと眺めたところ、あまり面白そうなスレッドは立っていない。

まずタイトルからして興味を惹かれない。
先輩にメールを送ったからってなんだっていうんだ。
僕はそれ以前に家族以外のメールアドレスも知らないというのに。

その中で不意に目に留まったスレタイがある。


『【OFF会】千葉VIPPERあつまれー\(^o^)/【やろうぜ】』


(;^ω^)「なんだこれ……」

一瞬、思考がぴたりと止まった。
唖然とする。

52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:12:45.06 ID:QVjrsCOo0
(;^ω^)「うわぁ、しかも結構参加希望者いるし」

ネットにまでリアルを持ち込みますか。

厭になる。

よくよく板全体に目を通すと、同じようなスレはいくつか、いや『いくつも』立っている。
なんなんだこれは。


――現実に絶望しているからこうして仮想に逃亡しているんじゃないのか。


それは僕だけなのか。

僕は現実の向こう側に行っても居場所がないままなのか。

53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:13:41.22 ID:QVjrsCOo0
( ´ω`)「本当に……なんていうか……」

つまらなくなったなぁ。
それも急激に。

ただどうやら、そう否定的に考えているのは自分だけではないらしい。
ぽつんと孤立していた『出会い厨はVIPから出ていけ』なるスレッドをこっそり閲覧してみると、


「最近馴れ合いうぜーよな」
「うんうん」
「VIPにリアルのノリを持ち込んでんじゃねーっての」
「そういうのはラウンジとかでやれよな」
「つか俺リアルでなんて死人同然だし」
「マジつまんね」
「VIP始まって即終わったな」


この談義自体が馴れ合いなんじゃないかという突っ込みはさておき。

( ^ω^)「つまらなくなった、かお……」

そう言えば。
僕も昨年四月に至るまでは人生の絶頂とまでは呼べないにしてもそれなりに充実した日々を送っていた。
それが今やこの惨状である。
これはディスプレイ内での有り様と同義と言えるのではなかろうか。

54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:15:18.72 ID:QVjrsCOo0
前述の意見も少数派に過ぎない。
僕の知らない間に板全体の空気が変わりつつあるのだ。

成程。

ネットもリアルもつまらない。
幾ばくかの時間を経過した今、僕は、そう感じている。

着実に駄目になっていく。
スピードの違いはあれど。
僕が僕で在る限り。
確実に駄目になっていく。

どうすればいいのだろう。

どうにもできないことは重々承知。

自己嫌悪が激しくなる。
自己否定に埋没する。
自己を放棄しそうになる。


その時。

氷のように凍えた雫が、一滴、心臓の深いところに落下した。


身体が芯からすっと冷え、冷え切った後で、雫は黄灼色の炎に変わる。

56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:16:44.30 ID:QVjrsCOo0
確固たる意志が産まれた。
頭の中で奇々怪々な映像が構成され、編集され、回転される。


これは誰の姿だ。

僕ではない。

けれど究極に僕である。


恍惚した。
溢れんばかりのばかりの煌々とした灯りが胸に充満していった。


そして僕は何かに取り憑かれたように脳裏に浮かんだタイトルを打ち込み、
無心で『スレッド新規作成』ボタンをクリックした。




『1: リア充連続殺人事件(1)』

57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:18:19.80 ID:QVjrsCOo0



リア充連続殺人事件


1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:200X/10/XX 22:29:50.47 0

私の裡側には悪魔が巣食っている。

それは魍魎の類なのか、はたまた蛔虫の類なのかは依然として不覚のままであるが、
さながら性悪な憑き者のように私を裡々から蝕み続けているのである。

すなわち私は俗に伝わる悪魔憑きに相当する。

悪魔は私の臓腑から脊髄に至るまでを虚々と這いずっている。
身体中の節々から、我が肉の裏側で蟲がぬるぬる糸を引きながら蠢くような気味の悪い感触を覚える。
体内が粘液に満たされる。
蟲がその上を這っていく。

私は、だからこれを『蟲』と名付けた。

59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:20:12.78 ID:QVjrsCOo0
蟲というからには、やはり私の精神にも異常をもたらしている。
定型単語にある通り、泣き虫、弱虫、腹の虫、塞ぎの虫などと、人の感情を操舵するのが所謂蟲である。

蟲とはまた癇癪のことでもある。
油断していると突然に私に破滅衝動を抱かせる。
なんとも性質の悪い悪魔である。
私にはその衝動を抑えつけることが非常に困難に感じられる。

医者に相談しようかとも迷ったが、
精神科医に扮した詐欺師どもにいいように誤魔化されはぐらかされ、搾取されるのが落ちであろう。
私が陥っているのは双極性障害や解離性障害などではない。
心的外傷、平らく述べるところのトラウマにあたる記憶などは元より持ち合わせていない。


誰にも相談できず一人悶々と過ごしていると、次第に、私は人間というものに対して嫌悪感を抱くようになった。


誰も私の心を分かってくれぬ。
誰も私の苦悩を察してくれぬ。

60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:22:19.77 ID:QVjrsCOo0
人が見ているのは表に出ている側のみである。
それは見ているとは言い難い。
ただ視ているだけである。

故に事情を知らない他人から眺めた私は、至って並大抵な凡人に映っているに違いあるまい。

私はヒトだ。
確かにヒトだ。
十把一絡げの常人と何一つ変わらぬ生活を営んでいる。
私は彼らに紛れている。
だが私の内面にはヒトに在らざる悪鬼が常日頃より潜んでいるのだ。

蟲の居所が悪い時などは、一般に殺意に属するであろう甚だしく邪悪な感情が込み上げてくる。

何の不安もなさそうな若者と街や施設内などで擦れ違うと、たまらなくその首を掻き切りたくなる。
切り裂いた喉元に大口開けて齧りついて、そのまま全ての血液を吸い取りたくなる。

満ち足りた日々を送っているであろう青年の隣に座ると、その腸を抉り出したくなる。
引きずり出した臓物の全てを、青年が有していたはずの希望に見立てて乱暴に踏み潰したくなる。

こう考えている時の私はほとんど悪魔である。

61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:24:05.82 ID:QVjrsCOo0
日に日にそのような惨劇を空想する時間が増えていっている。
恐怖も共に拡大していく。

私は恐ろしい。

私が恐ろしい。

蟲が徐々に外へ外へと出でつつある。
顔を覗かせ苛立っている。
私の支配を始めている。
なんとか堪えなければならない。


だが箍というものは留め続けていればどう足掻こうと少しずつ緩むものなのである。
緩めば当然いずれか外れる。

63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:25:03.59 ID:QVjrsCOo0
私には特別忌み嫌っている人間がいる。
上司である。
嫌うどころか、恨んでいるとさえ言ってもいい。

これが超の上に超の付く、度を超えた女たらしで、真面目に職分に励むこともなく、ひたすらに遊び呆けている。
職務時間中にふらふらと誘蛾のように遊戯に出かけることなどしょっちゅうである。
その癖態度だけはやたらと大物ぶるのだ。

私はこの男に反発している。
その内情を知っているからか、向こうも私のことを嫌悪している。

顔を合わせるたびに、彼は私に許容できる範囲を超えた圧倒的質量の不快感を与える。
愚直な彼にはそれが余計に怒りの種となることも分からぬのだろうか。
芽生えた種は蟲の格好の餌となる。

職を辞してやろうかとは何度も考えた。
しかしながら生活は大変に苦しい。都合よくそうするわけにもいかない。
だから辛抱に辛抱を重ね続けた。

64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:27:41.19 ID:QVjrsCOo0
しかし世の中というものは複雑に捻じれているもので、
どういう仕掛けか彼の生活は不思議なくらいに充実しているのだ。
女には困らない、不良仲間だが友人も多い、勤務期間だけは無駄に長いから、時給も私より随分と良い。

こんな男に好意を寄せる女性がなぜ存在しているのだろうか。
一体どこが気に入って群れる対象として扱われているのだろうか。
何ゆえ誰一人として彼の勤務態度を戒めようとはしないのだろうか。

私には到底理解できぬ。
そうした理不尽ががますます彼への怨恨を深めている。


そうした負の感情に捕らわれているうちに、私は、彼を排除すべき敵と看做すようになった。


完全に精神に変事をきたしている。
このままでは壊れてしまう。
蟲を抑えねば。
しかし抑圧を担う理性はその瞬間にだけ眠りに就いてしまっているのである。

67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:28:54.90 ID:QVjrsCOo0
契機となる事件があった。
いつものように通い慣れた仕事場に出向いた日のことだ。
仕事といっても、私は定職に就いている身分ではないから、世間一般に言うパートタイマーである。

その日も特に変容のない職場風景で、私も普段通りの作業を普段通りにこなしていた。
そしてそのまま平常のように職務時間が終わるのだと思っていた。
あの男が顔を見せるまでは。

何があったかは敢えて伏せる。
この駄文を目にした各々が、考えつくだけの不条理不愉快不可解を自由に思い浮かべてくれればいい。
断言しよう。その想像を遥かに上回るだけの辱めを私は受けたのだ。

その晩私は荒れに荒れた。
普段飲まない酒を貪るように飲み、自宅に着いた時には既に朝になりかけていた。
玄関の扉を潜るとすぐに吐いた。
口から漏れ出た半液体状の黄褐色物体は、嘔吐物と呼ぶよりもむしろ、反吐と呼ぶのが相応しかった。

気分がどこまでもどこまでも優れなかった。

68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:30:47.54 ID:QVjrsCOo0
ふと瞼を閉ざすと、あの男の悪辣極まりない面がめらめらと、
まるで投射機で映し出されたかのように、克明に、鮮明に、鮮烈に、暗闇の中に浮かび上がってきた。
彼は私を嘲笑していた。


私は強い憎しみを覚えた。

殺戮してしまいたいほどに。


そう邪念を抱いた時、私は既に思案の糸を張り巡らせていることに気が付いた。
驚嘆するほど冷静だった。
明鏡止水の境地と言っても差し支えない。

いかにして殺すか。
いつ殺すか。

色々と考えた挙句、私は月の丁度境目に当該する、つまり、今月十六日に奴を殺害するという案に着想した。

そこに達してからは私は水を打ったように平静を取り戻した。
何のことはない。殺そうと決めたまさにその瞬間以外、つまりそれ以前とそれ以降は私はあくまで常態であった。
異常なのは瞬きほどの一弾指だけである。

69 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:33:00.42 ID:QVjrsCOo0
私はその日に至るまでじっと耐え忍んだ。
蟲が暴走しないよう息を潜めていた。
あの男と顔を合わせるどころか、同じ空間、時間、その合間に沈澱する空気を共有することも厭われた。
会えば衝迫に囚われてしまう。
だからアルバイトは休みがちになっていった。そんなことは最早どうでもよかった。


そして決行に移す刻がきた。

時刻は終業直後の夜。
場所は男の住むアパートの駐車場。
凶器は先日隣県の金物店にて購入したごく平凡な出刃包丁。
突き刺してしまえばお終いなのでこれで充分である。

終業後、私は密かに上司の後をつけた。
月の中日を選んだのは、この日が丁度給料日であるためでもある。
この男は性根がどうしようもなく小心者であるから、得た給金を奪われるのを過度に恐れて自宅へと真っ直ぐに帰る。

男がアパートに入っていく間際に、私はその背後から諸手を上げてぐうっと押さえかかり、
そして二階下のスペースを利用した駐車場へと連れ込んだ。

70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:36:04.82 ID:QVjrsCOo0
まず、脇腹を刺した。
次に臀部に刃を突き立てる。
手応えは鈍い。
丹念に研がれた包丁の刃先が、緩々と肉を貫通した末に、丁度腰骨のところで止まる。

――気色悪いな。

そう思った。

この程度では死ぬ道理がない。脂の多い部位であるし、何より出血量が不十分に過ぎる。
私は至るところを偏執狂じみた手つきで滅多刺しにした。
だが、まだ胸部、及び首から上には施さない。
じっくりと時間をかけて、苦痛を味わわせながら絶命させていくのが、この男に下す制裁の趣向としては適切である。
その点に関してはひどく冷酷だった。

ふと私は男の表情を見下ろした。
恐怖からか頬の筋肉は引き攣り、痛みからか惨めったらしく泣き叫んでいる。


私は、戦慄した。

71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:38:02.86 ID:QVjrsCOo0
全身を駆け巡る血が一斉に凍える。

頭の芯が白く霞む。

鼻腔がひりつくような生々しい臭気がする。

これは血の臭いだ。

全身にじんわりと染みついていく。

僅かな良心が侵されていく。

激しい動悸と眩暈感に苛まれた。


私の裡側に寄生する蟲は、この瞬間、私を完璧なる宿主として認めたに違いなかった。

72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:39:23.86 ID:QVjrsCOo0
私は確かに人である。
唯一蟲の存在だけが逸脱している。
この蟲が私を使役して為させた行いは、紛うことなき悪魔の所業である。

この凶行は私自身がやったことなのだろうか?
電気信号を通じて動いたのは確かに私の腕であるし、そもそもその脳波が観測されたのもまた私の脳である。
蟲は何処に住んでいるのか。
どうにも解らない。

出口のない暗闇に放り出されたような気味になった。

私はヒトで在りたい。
だがこの悪霊じみた蟲がいる限り、今後もし激情が破裂してしまった時に、同様の犯行に及ばないという保証はない。
私はこの蟲に、心身共に飼われてしまっているのだ。

苦しく、そして――狂おしい。





       

74 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:41:32.38 ID:QVjrsCOo0



(;^ω^)「うおっ、もう日付変わったのかお!」

ブラウザから視線を離してモニター右下の時計を見やると、既に零時を回っていた。

「書きながら一気に投下しました!」ではないが、
ほとんど休憩も取らずに僕はキーボードを打ち続けていた。
スレの様子を窺ったりもせず。

なんていうか……。

(;^ω^)「暇人にも程があるお」


僕がこうしてこの小説をVIPに投下したのに理由は、ない。
ただ衝動的に書き殴ってみただけだ
僕の胸の中にあるダムに溜まったものを目一杯放流しただけに過ぎない。

ただ、書いている間、僕は説明もつかないほどの解放感を手にしていたのは確かである。

75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:43:16.85 ID:QVjrsCOo0
この感覚はなんだろう。
充填されていた鬱エネルギーはすぅっと消えた。
出来上がったのはサイコホラー紛いの二流三流の乱文だけど。

でも、眠い。
自分でもびっくりするくらい、眠い。

( ^ω^)「寝るかお……」

パソコンの電源を落とし、蛍光灯も消して僕はベッドに飛び込んだ。




その翌日。
正確には、当日。


他殺死体が二体発見された。




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