78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 23:46:10.30 ID:QVjrsCOo0


2.馴れるに褻れる



僕の目が覚めたのはとっくにお日様が九〇度近い角度にまで上がった頃であり、
なぜかと言えばその曜日は午前中の講義のコマを一切組み込んでいないからに他ならない。

( うω`)「さすがに……睡眠時間二桁突入は寝すぎたお……」

布団の中でごそごそ動きながらそんなことを呟く。

体を起こした時には既に部屋には十分に陽の光が入っていたから、瞳が明順応するまでの手間は省けた。
その準備万端の眼球で枕元の目覚まし時計をチェックする。
ギリギリ午前に分類することのできる時刻だった。

85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:00:47.71 ID:k+fR04xS0
後期日程の時間割には空白が多い。
履修登録の際あまり授業を詰め込まなかったからだ。
特に意思があってそうしたわけではない。
深層心理で大学に対する意欲が相当に薄れてきている証拠かも知れない。

無意識に無気力無関心。
無我夢中に五里霧中。

自ら悪い方へ悪い方へと突っ込んでいく。


無駄の多い人生だ。

別にいいけど。

86 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:02:19.54 ID:k+fR04xS0
从 ゚∀从「んー、今起きたのかい? 不健康不良児くん」

廊下に出ると、ハインさんにばったり出くわした。

上は黄色地に白い英字のロゴが羅列された、肩口から胸にかけて大きく半円状に抉られているタイトTシャツ、
下はすらりと伸びた脚の輪郭が際立つデニムのホットパンツを穿いている。
丈の短いシャツだから、ハインさんが腕を胸より少しでも高い位置に挙げるたびにちらちらと地肌が覗く。
ベルトにはやたらとパンキッシュな金属製の装飾が施されていた。

普遍的な盛夏のイメージよりも遥かに夏らしいファッション。しかも眩いばかりに極度に大胆。

限りなく自信に満ちた出で立ちだ。
視線が僕の制御を離れて下へとスライドしていきそうになる。

平時から挑発的な服を好む人ではあるが、今日はまたトップクラスの露出度の高さだ。
最近になって思うのだが、どうもハインさんは女性付き合い絶無の僕をからかっているような気がしてならない。

从 ゚∀从「ちなみにホットパンツとは見た奴の下半身がホットになるからホットパンツって言うのな」

(;^ω^)「少なくともそんな不純な語源ではないということだけは確信をもって答えられますお」

そんなことより僕の心理及び心裡を暴かないでください。

88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:06:27.26 ID:k+fR04xS0
从 ゚∀从「なになに、秋にもなってその格好は時期外れもいいとこプププ、とでも言いたげだね、ブーンちん」

ハインさんがニヤニヤと、それこそ淫魔が修道者を誘惑するような毒々しい笑みを僕に向ける。
一瞬どきりとする。

从 ゚∀从「まっ、理由があるわけよ。面接面接。バイト増やそうかと思ってさ」

( ^ω^)「はぁ」

从 ゚∀从「で、今回は面接官を悩殺しちゃうぞ作戦で攻めてみようかと」

( ^ω^)「またご大層な奇策を」

从 ゚∀从「やるからにゃあ確実に拾ってもらわなきゃ時間のロスになるからね」

もし僕が人事担当なら真面目そうな人材をノータイムで採用するけど。
しかしそんな僕の思惑を悟ることなくハインさんは歯を見せて笑う。

从 ゚∀从「生き残りのラットレースなわけよこの業界は」

さすがは職業フリーターといったところか。

その、三分以上かけて考えたのだとしたら脳に大変な問題がありそうな策が功を奏するかどうかは別として。

89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:07:52.23 ID:k+fR04xS0
金銭面の配慮は常に怠らない。
ハインさんは今の段階で既に四つのアルバイトを兼業している。
そこから更に追加するというのだから畏れ入る。

その割には無駄遣いが多く、家計に入れてくれる金額は僕と大して変わらないのだが……。

( ´ω`)(天引きの額が増えるだけだお……どうせ)

僕の仕事が増えるわけではないのだから、何の不満もないのだけれど。

从 ゚∀从「なにさなにさ、その呆れ果てましたみたいな顔。
     だったらブーンちんも自分のバイト代を自由に使えばいいじゃん。ねー」

そうかも知れない。
でも僕はあくまで居候の身。
最低でもハインさんの入金分と同じ額は家計に回さなければ、という、妙な義を抱いてしまっている。

仕方がない。
自己を制限し、設定しているのは誰からぬ僕。

破ることは自分自身が許可しない。

90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:09:33.45 ID:k+fR04xS0
从 ゚∀从「おっともうこんな時間」

ハインさんは左手首に巻いた腕時計を見て、台詞の割に幾分焦燥感に欠けた声を発した。

从 ゚∀从「面接正午過ぎたら始まるんだった。あちゃー。やばいやばい。
     あー太陽ちゃん南中すんの躊躇ってくんないかなー、無理か。んじゃねー」

手を小さく振った後、廊下に無造作に放り出されていたでかいボストンバッグを右肩に提げるハインさん。
毎度思うが特段大した中身が入ってるわけじゃないのだからもっと小さい鞄でもいいのでは。

( ^ω^)「おっ、そういえば僕の分のごはんは――」

僕はおよそ料理というものはできない。

从 ゚∀从「ピザでも食っとけ」

背中を見せたままハインさんはそう言い放ち、
リビングから鳴り響くウキウキWATCHINGをBGMに、別段慌てる様子もなく堂々たる歩きっぷりで出発していった。

91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:11:33.12 ID:k+fR04xS0
見送る僕。

( ^ω^)「…………」

特に感想も感慨もなく。

( ^ω^)「……さて」

そのまま僕は居間へとは向かわず自室に逆行。
なんのことはない。
単純に空腹感がこれといって見当たらず、だから食欲が湧いてこなかっただけのことだ。

現時刻を確認する。

( ^ω^)「まだ余裕あるお」

午後の講義――別に進んで受けたいわけではないが――は十三時半からである。
それまでひたすらに暇。
なので有り余ってしまっている時間を消費、というよりは浪費するためにパソコンを起動した。

92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:13:38.36 ID:k+fR04xS0
( ^ω^)「ん?」

画面が明るくなると同時にブラウザが立ち上がった。
この間自分が実行した操作は主電源ボタンを押したことだけ。
どうにもウィンドウを閉じずに終了してしまっていたらしく、直近のセッションが復元されたようだ。

画面上にはVIPに昨夜立てたスレッドが表示されている。

(;^ω^)「あれま、落ちてなかったのかお」

割合流れの速い掲示板だから、スレ主不在のスレがこうして半日も残っていることのほうが珍しい。
その上僕が落ちた時には百レスにも全然到達していなかったのに、
いつの間にかレス数は大台を超え三百に迫っている。


はて。


不思議というよりは不自然に思い、最後に自分が書き込んだ時間から現在に至るまでを読んでみる。

93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:16:02.26 ID:k+fR04xS0
「おもしれー」
「サイコってんなサイコ」
「なにこのスレ……負のオーラに満ち杉……」
「VIPは日記帳じゃねぇんだぞ。糞が」
「これなんて殺戮に至る病?」
「むしろ乱歩っぽい」
「もっとスプラッタ描写は濃いほうがいいんじゃね」
「文章は下手だけどダークな感じが(・∀・)イイ!!」
「なげーよ産業で頼む」
「寝る前にage」
「書いた奴絶対病んでるだろwwwwww」
「いやお前らだって同じようなもんだろ^^;」
「確かにリア充に小馬鹿にされると殺意が芽生えるな」
「通報した」
「通報とか言い出す奴がいるからVIPがつまらなくなる」
「ちょっと待て共感とかおまいらどんだけリアルで腐ってんだよ。俺もだけど」
「勝手に一緒にすんな」
「保守」
「今来たが、猟奇趣味とか流石の俺もそれはひくわ」
「( ´_ゝ`)フーン」

96 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:18:04.70 ID:k+fR04xS0
「ところでまだ話に続きあるのかね」
「続編書いてくれねーかな」
「スレタイ見ろ。『連続殺人事件』ってことはこれで終わりじゃない。後は分かるな?」
「おまい天才」
「二人目以降もあるってこと?」
「期待」
「フィクションとはえ人死ぬのが楽しみとか不謹慎にもほどがある」
「全ミステリファンを敵に回すようなこと言ってんじゃねぇ!!!1」
「続きマダー?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン」


こんな感じの書き込みがだらだら、ずらずらと。

(;^ω^)「なんとまぁ」

意見感想論議保守、果ては総意と相違を含む内容についての賛否が入り混じりながら、
速度はゆっくりながらも縦に横にとスレは一定のペースで伸びていた。
自分の書き込んだ回数は五十程度であるから、占めて八〇パーセント以上が傍観者のレス。

97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:21:38.30 ID:k+fR04xS0
なぜこんなにも人が集まっているのだろう?

理由を考察してみる。


おそらくは。

自己投影――作中の殺人鬼に自らを重ね合わせることによる代償行為なのだろう。
この物語が秘めたる願望のレプリカとして役割を果たしているのではないか。

皆が現状を嘆き、
皆が自分に失望している。

( ^ω^)「秘めたる願望……かお」

というよりは、溜め込んだ鬱屈たる想いの発散と言い表したほうが正解かもしれない。

108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:45:50.99 ID:k+fR04xS0
それは、例えば。

自分よりも幸福な人たちへの妬みだったり。
思い通りにならない現状への僻みだったり。
不当に見下してくる連中に対する嫉みだったり。

そういった忸怩たる情的過程からくるモノなのだろうと僕は推察する。
なぜなら僕がそうだから。


だとしたら。

彼らは僕にとてもよく似ている。

それとも。

僕が彼らに似ているのだろうか。


そう胡乱ながらに考えると――なんだか無性に嬉しくなってしまった。

110 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:48:23.75 ID:k+fR04xS0
もちろん僕の勝手な推定に過ぎない。
けれど、もしそういった親和性が実存するのだとしたら、すると定めれば、不思議と救われたような気分になる。
根拠は不透明すぎて判らない。
それでも構わなかった。湧いてくる感情にまで論理的な解釈を求めるのは筋違いだ。我ながら。

( ^ω^)「続き、かお……うーん……」

直に十三時になる。
大学までの距離と始業時間を考えればこの辺がタイムリミットの瀬戸際なのは火を見るより明らか。

だけど。

( ^ω^)「……まぁ、いいか。そのぐらいどうにでもなるお」

別に必修でもない授業の一つや二つ欠席したところで単位を丸々落とす訳でもないだろう。
そう楽観的に捉えることにした。
怠惰なことには変わりないけれども。

( ^ω^)「よし」

回転チェアに座り直し、前回よりも各種脳機能の旋回度数を増加させ、イマジネーションの網を広げていく。
そして僕はタイピングし始めた。


『今起きた。続きやります』

112 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:51:32.90 ID:k+fR04xS0



287 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:200X/10/XX 12:51:37.66 0

「ごめんくださいまし」


声がした。

何処からかは判らぬ。

音の高低、強弱すらはっきりしない。
典雅な淑女が発する粛々しい声音のようでもあり、衰弱した老人が末期に漏らす息めいた叫びのようでもあった。

私は周囲をぐるりと見回した。
一面は闇である。
どこまでも、どこまでも渺々と続いているような、底知れぬ深淵が辺りに隙間なく充満している。
だから具体的な対象物は何ひとつ視えてこない。

114 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:54:27.07 ID:k+fR04xS0
それとも元より声など存在していなかったのだろうか。
あれは単なる空耳だったのか。

不安になる。
何やら胸裏がもぞもぞと騒がしくなる。

「ごめんくださいまし」

その時。再度耳に飛び入ってきた呼び掛けと共に、足下で得体の知れぬ何かが薄気味悪く蠢くのを知覚した。

私は低く腰を屈めそいつを掴み上げた。
温かく粘々とした液体が掌にべったり纏わりついた。
感触は、柔らかい。

「ごめんくださいまし」

未知なる個体の喉元が幽かに震えた。
それはさながら心臓の鼓動のようにも感じ受けられた。

ああ、生きている。

116 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 00:57:10.25 ID:k+fR04xS0
抱えた感じは然程大柄ではなく、実体も不明瞭のままだが、私の両腕の中で確かに動き続けている。
懸命に私に語りかけようとしている。

子供みたいだ。
そうに違いない。


私はそれを、愛しい稚児を抱くような想いで抱擁した。


粘着質の体液が指の間からずるずると零れ落ちる。
暗がりに落下し滲むように拡散していく。


生物の顔を覗き込む。

それは蟲だった。

118 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:00:45.03 ID:k+fR04xS0


目覚めると朝だった。

どうにも寝起きが優れない。
何か酷い夢でも見ていたのだろうか。充分に眠った割には疲労が余り癒えていないから、多分そうなのだろう。

それが如何なる夢だったか私は知らない。
まるで覚えていないのだ。
或いは無意識に自己防衛反応が働いていて夢の内容を思い出したくないだけなのかも知れない。

私は厭々ながらも躰を布団から引き離すと、着替えを済ませ、散策に出向いた。

街に出ると案の定大勢が犇めいていた。
今日は予報では晴れると示していたにも拘わらず、鈍い灰色の雲が空を覆ってしまっている。
その曇天の下を私は歩く。
天気同様気分が晴れない。

何故かを熟考した。
しかしながら堂々巡りに陥るばかりで何時まで経っても解答は得られず仕舞いである。

120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:04:44.89 ID:k+fR04xS0
私は猶も歩み続けた。

葉の色づいた街路樹が立ち並ぶ道を進んでいき、
ト字路に差し掛かったところで右折すると、瀟洒な格好をした若者二人の姿が映った。
彼らは狭い歩道一杯に広がったまま平気でこちらに向かってくる。

何やら大声で喋っている。
話の前後が切り取られているから、何について喋っているかまでは流石に把握できない。
ただ表情は感じの悪い笑みを維持している。

私は接触しないよう出来得る限り道の端に寄って歩行する。
それでもやはり路幅が足りない。
横を通り抜ける時に肩がぶつかる。
バランスを欠いて膝を着きそうになるが、青年達は会話に夢中で私の様子に気付いたような素振りはない。

121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:06:55.22 ID:k+fR04xS0
どこまで鈍感なのだろうか。
神経系統が丸々麻痺してしまっているのだろうか。
因縁をつけてこようものならこちら側も反撃のしようがあるが、完全なる無視とはどういうつもりか。
理解に苦しむ。

苛々した。


首を絞めてやりたいと思った。


否、それは正常な情動ではない。
明らかに異常である。
しかし確かに、私が今先の無頓着な若者の頸部に、指を、爪を、魔手を伸ばしたいという欲望に駆られたのは真だ。

私は一体何を考えているのだ!

倒錯している。
腹を立てるならばともかく、いくら衝動的にとはいえ殺意が生じるとは何事か。

慌てて訂正する。
だが落ちた影は十全に消え去ることなく、気狂いの種の残骸が頭の片隅に引っ掛かる。

私は堪らずかぶりを振った。
悍しく、どろどろとした暗黒が私の精神を凌辱し、支配する。
猛烈な吐き気を催しその場に蹲る。

122 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:09:08.11 ID:k+fR04xS0
どうして唐突にそのような歪な考えが脳裏に過ってしまったのか。

瞬息。
落雷を受けたような強い衝撃が全身を駆け巡った。


蟲だ。

蟲の仕業だ。

蟲が騒ぎ出したのだ。


何時頃以来だろうか――比較的新しい過去から辿っていくと、忘却しつつあった事実が再び私の前に姿を現した。

ああ、そうだ。私は人を殺したのだ――

記録が記憶として克明に蘇る。
三日前。
この手、この細く頼りない腕で、凶刃を固く握り締め、あの男の咽喉をかっ裂き、そして死に至らしめたのだ。

123 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:11:25.52 ID:k+fR04xS0
漸く朝から続く不快感の原因を突き止めた。
殺人を犯して以降蟲の繁昌が久しく鎮まっていたから危うく忘れるところであった。
警察はまだ犯人に見当をつけられておらず、私は容疑者にすら挙がっていなかったので、
今までと何ら変わらぬ日々を過ごせていたのも忘れそうになっていた所以であろう。


どうすればいいのだろう。

どうすればいいのだろう。

蟲が到頭起きてしまった。

どうすればいいのだろう。


背中に汗をかいた。
米噛みにも汗をかいた。
口内は渇いている。
喉の奥が灼けたようにひりひりする。

125 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:14:46.47 ID:k+fR04xS0
耳元で何者かが囁いた。
低く、余韻を存分に含んだ、肝胆に直接刻み込むような声だった。


「また殺害すればいい」

「御前は人を憎んでいる」

「自身より恵まれた人間を」

「腸煮えくり返る想いで嫌っている」


地獄の底の最深部に迷い込んだような心地だった。

冷汗が首筋に溜まる。
脊髄と脳髄が芯ごと凍る。
耳鳴りが絶えない。鼓膜を劈くような、鋭くきんきんとした音に苛まれる。

私は外聞をかなぐり捨てて咆哮したくなった。

127 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:17:32.48 ID:k+fR04xS0

「御前は憤怒に震えている」

「激情が裡で燃え盛っている」

「蓄熱を外に放てばいい」

「さすれば治まるに違いない」


これは――誘惑なのだろうか。
そう受け取ると、耳朶内で響き続ける不吉な声が、誠に奇怪なことに甘美にも聴こえ出した。
苦悶に縛られた我が身を委ねるには余りに魅力的過ぎた。


私は、我慢できず、

その言葉をそっくり受け入れてしまった。


楽な道へと脆くも逃げてしまったのだ。
その悪辣なる声の正体こそ蟲であり、私の深層に潜む根源なのだと――明白に判っていたというのに。

128 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:19:52.22 ID:k+fR04xS0
私の肉体は最早傀儡と化していた。
蟲が浸透を完了している。
手足の感覚が鈍り、あらゆる脳の機能が混沌に嵌り込み、本能のみが一方的に暴走している状態である。

蟲こそが私を突き動かす原基であり、また私こそが蟲だった。

私は品定めをするような目つきで街を徘徊した。
血に餓えた獣の眼と呼び換えてもいい。

市銀のガラスウィンドウに投影された私の顔は、眼球は血走り、
そのくせ視線は虚ろで焦点が定まっておらず、口を半開きにして小刻みに荒々しい呼吸を繰り返す、
狂人か、或いは薬物中毒者かというような面持ちだった。

如何にも危なっかしい、蹌踉とした浅い前屈みの姿勢で私はガラスの中に映り込んでいた。

偏頭痛がする。
少し熱もあるのではないだろうか。

治療には人殺しが必要だ。

131 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:23:01.20 ID:k+fR04xS0
大通りをするりと抜けて人気の少ない小路にまで出ると、一人の女を見かけた。
まだ若い、白いブラウスにショートテーラードジャケットを羽織った清潔感のある女性だった。

周辺には誰もいない。格好の標的である。今の心身共常ならぬ私には自制心の保持は不可能だった。

まだ午前中だ。
陽も昇りきっていない。

しかし。

しかし、だからこそ――


私は女を追跡した。

女は白壁のそれ程大きくないマンションに入っていった。
独り暮らしらしい。夜勤明けか、はたまた暇な学生なのだろうか。
その後ろを喉を鳴らして追った。

132 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:26:57.64 ID:k+fR04xS0
部屋の扉の前に立ち、チャイムを鳴らした。
女を殺すことに対する躊躇いは一切なかった。
扉が開かれると共にその隙間から侵入し、
意表を衝かれて混乱する女を悲鳴を上げる間もなく組み伏せ、そして――

――正気に復帰した時には私は女の死体を俯瞰していた。

顔は鬱血し青紫色に変わっている。
口角に泡が溜まっている。
両の眼は一直線に虚空を睨んでいる。

壮絶な死に顔だった。
手足の末端がぴくぴくと違う生き物であるかのように痙攣していたが、やがて治まり、完然なる寂滅を唱えた。

何てことをしたのだ。私は。

押し倒した勢いで後頭部を地面に叩きつけ、意識が混濁しているところを狙い、
首を両手でぎゅうと圧迫しそのまま体重を掛けるようにして絞め殺した。

そこまでは躰が覚えている。
そこからは道徳心が拒絶している。

135 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:30:32.72 ID:k+fR04xS0
若い女が一人活動を止めて倒れている。

その様を見て、
呆然とした。

私は何の罪もなく、自らに害を与えたわけでもない人間を、自己の精神安定のためだけに殺してしまったのだ。
とんでもない話だ。
利己的に過ぎる暴挙である。

蟲は去っている。
途方もない罪悪感に襲われた。
動悸が止まらない。
死にそうだ。

死にたかった。

心中が救世から見放されたどす黒いものに満たされつつあった時、蟲が何の前触れもなく帰ってきた。
そして「もし」と囁きかける。
優しい声だった。
在りし日の母を思い出した。まだ私が幼く無垢だった頃、母はこんな風に穏やかに語りかけてくれていた。


「もし」

「もし」

136 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:32:43.51 ID:k+fR04xS0
蟲はいやらしく焦らしたり、唆したりするだけで、中々本題に入ってくれない。
早く導きが欲しかった。
だから私は「ごめんくださいまし」と尋ねた。蟲は堰を切ったかのように含みのある言葉を継いだ。


「無実の者殺しに抵抗があるのなら」

「事後深い罪の思念に囚われるのなら」

「殺しても悔恨の残らないような」

「そんな憎々しい人間を殺せばいい」


私は――尤もだと自答した。





        

138 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:35:45.52 ID:k+fR04xS0



ちょうど携帯が鳴った。
話を書き上げてすぐだったからタイミングがいいのか悪いのか判然としない。
終わった直後だからよかったのかなぁ、とか、ずっとディスプレイを凝視して疲れてるから面倒だなぁ、とか、
そう言えばもう通例的にはおやつの時間だなぁ、とか考える暇はもちろんなかったのでとりあえず電話に出る。

( ^ω^)「もしもし?」

(´・_ゝ・`)「あーもしもし、内藤くん? 内藤くんだよねぇ、この声。
      そりゃそうだな、登録した番号からかけてるんだから。うん」

受話器の向こうで独り善がりな問答が行われている。
僕のよく知る声だ。

( ^ω^)「店長?」

(´・_ゝ・`)「そうそう、話が早いねぇ。うんうん」

かけてきたのは僕の勤める中古ゲームショップの店長、盛岡さんだった。
尾を引くような間延びした口調だからすぐに判った。伊達に聞き慣れてるわけではない。

139 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:39:11.51 ID:k+fR04xS0
( ^ω^)「一体どうしたんですかお? 僕は今日はシフト外れて――」

(´・_ゝ・`)「いやねぇ、今日じゃないのよ。明日のことなんだけど」

( ^ω^)「明日? 明日がどうかしましたかお?」

明日は十三時から六時間タイムスケジュールが組まれてある。
今日とは正反対で午後から講義がないのだ。

(´・_ゝ・`)「明日ねー、開店時刻から入ってくれないかなぁ。で、ちゃちゃっと閉店まで」

(;^ω^)「はい?」

意味が分からなかった。

(;^ω^)「なんでまたそんな突然」

(´・_ゝ・`)「いやね、君のちょっと前に入った子と、ちょっと後に入った子が辞めちゃって」

つまり空きが二人分出来てしまっているらしい。
そのうちの、終日勤務予定だった人のほうの分を僕がすべて埋めてくれ、と。

141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:42:24.14 ID:k+fR04xS0
(´・_ゝ・`)「一日ぐらい退職遅らせてよって言おうと思ったんだけどねぇ、
      よく考えたらあの子らより君のほうが頼まれたら断れないタイプっぽいから説き伏せるの楽そうだし」

(;^ω^)(そういうのは本人に直接言うもんじゃないと思いますお)

(´・_ゝ・`)「だから内藤くんにお願いしようかと」

( ^ω^)「でも別に大きく影響あるほどのことじゃないんじゃないですかお?
      僕一人いなくても店番は十分務まるんじゃ……」

(´・_ゝ・`)「いや忙しいのよ。うん」

嘘だ、嘘に違いない。平日は店員一人でも問題ないぐらいの客数しかいないじゃないか。

(´・_ゝ・`)「人手全然足んないし。頼むよ。ね?
      というかもうシフトリーダーの子は内藤くんありきで明日限定の新シフト組んじゃったし」

(;^ω^)「ちょっ!」

基本的人権の侵害だ!
声を大にしてそう叫びたい。耳の遠い店長にはちょうどいい音量になって逆に喜ばれそうだけど。

142 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:45:39.05 ID:k+fR04xS0
(´・_ゝ・`)「よろしく頼むよぉ、今から新規でアルバイト増やすわけにもいかないからさぁ。
      あっ、ギコくんと長岡くんは快諾してくれたよ?
      この子たちの場合は元々数時間の勤務予定だったのを引き継ぎなしに変えてくれるだけだけど」

( ^ω^)「そりゃあの人たちはスペイン人も羨むぐらいの暇人ですから……」

(´・_ゝ・`)「内藤くんだって休みの土日は一日中勤めてるじゃないの。
      普通はみんな友達とか彼女とかと遊びに行きたがる曜日なのに」

( ´ω`)「そのことに関しては深く言及しないでくださいお……」

(´・_ゝ・`)「やってやれないことはないって証明してるんだからできるでしょ?」

(;^ω^)「んな強引な」

(´・_ゝ・`)「とにかくお願いするよ。せっかくもう決めちゃったんだし。
      手当もつけるからさぁ。頼むよ。頼んだよ。うん」

143 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:48:18.66 ID:k+fR04xS0
(;^ω^)「いや僕は学校が……」

(´・_ゝ・`)「それじゃっ」

がちゃん、という無慈悲な通話切断音。

(;^ω^)「……最後だけ抜群に歯切れがよかったお……」

流石に二日連続で休むのはよくない。サボり癖がついてしまう。
断りの電話を入れようかと思ったがそれすら億劫だった。
長時間のタイピングのせいで少々、というより中々、いや多々疲弊の色がありくたびれてしまっている。

まあいいか……いちいち言い訳を考案するのも馬鹿らしく感じたので妥協することにした。
意志薄弱、よって自ら異志剥奪。
押しが本当に弱い。

それより。

僕はスレッド内の反応が気になり画面と再び向き合った――合おうとした、正確には。
なぜ未然形なのかといえばまたしても携帯が歌い出したからだ。

145 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:54:02.05 ID:k+fR04xS0
けれど今度はメールの着信だった。

( ^ω^)「……ん?」

件名に『ハイン様からブーンちんへ』とある。すなわち送信元はハインさんから。
……あれ? アドレス教えてたっけ?

从#;∀从『バイト落ちたー! ちくしょー! やってらんねー!
      せっかく割のいい仕事だったのによー! くそー!
      ゲーセン行ってくる! 連コ常習犯狩ってくる! うがあー!』

容易に表情と感情が想像できる文章だった。
そりゃあ、遅刻したら不採用だろうな。
僕は南極点みたいに冷めた頭で他人事のようにそんなことを考えていた。

ただ帰宅後ストレスの捌け口にされるのは間違いなく僕なので一応の覚悟は決めておく。
念のため逃走経路は確保しておこう。

それでも回避しきれないのが僕とハインさんの間に築かれてる絶対的力関係だけども。

146 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 01:57:49.70 ID:k+fR04xS0
オチがついたところで表示されているレスを見た。


「なんじゃこれ?」
「よく分からんがこーいう雰囲気好き」
「殺してんのリア充じゃなくね? ただの一般市民じゃん」
「気分悪くなったわ」
「そういう趣向なんじゃね」
「なんか続きそうな気配」
「繋ぎみたいなストーリーだな。起承転結の承の部分みたいな」
「そんな感じ」
「だとしてももっと練れよ」
「女のヒステリーかガキの癇癪みたいな拙い動機だ」
「私女だけどそんなことしない」
「ぼくしょうがくせいだけどそんなことしない」
「女とゆとりはVIPから(・∀・)キエロ!!」
「怖くなってきた……殺人そのものより人の内情が描かれるほうがキツイ」
「たかが素人小説で何言ってんだか」
「空気嫁」
「気になる終わらせ方だなおい」
「wktk」
「で、これまだ続きあるの? >>1答えてよ」


概ね予想通りの反応だった。
暫し腕を組んで沈思し、内心ほくそ笑みながら返事を書き込む。


『そのうち書く。明日か明後日か、明々後日とかに』

147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/11(土) 02:00:28.94 ID:k+fR04xS0
エンターキーを押すとともにチャイムが鳴った。

(;^ω^)「空気読めてねー」

欠伸が出そうだ。

粗忽で無頼な水差し野郎め。
やっとテンションが高まってきたところだというのに。
居留守を決め込もうかとも思ったが、無視しても何度も何度もベルを鳴らし続けるので仕方なく出ることにした。

結論から述べてしまえば、この応対は正解だったし、違う側面から見れば大失敗であるとも言えた。

何だろうか。誰だろうか。どうしてだろうか。
この時の僕はそんなことまで考えが『いって』いなかった。


ましてや、自分が二件の殺人事件の容疑者として尋問を受けることになろうだなんて――




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