3 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:00:32.46 ID:3+BWxWgT0




('A`)にはノルマがあるようです 第8話『ドクオには帰りたい世界がある』





何も無い世界に現れた、紫色をしたグレープフルーツの花弁。
艶やかな臭いを放ち、周囲の空間を何かで中和していくその様。

鼻に、少しの爽やかな芳香が入り込む。
これも、幻想なんだろう。
何も無い世界に、臭いもある訳が無い。
そしてドクオは、覚悟を決め、その先を見据えた目で、花弁を見つめていた。

長い、長い暗闇の中で決めた、ある一つの決意。

それは、生きるという事。
いや、決意では無いのかも知れない。
たしかにドクオは、生存を放棄した。
その隙に、tanasinnが入っていったのは確かだろう。
自分と言う存在に嫌気が差して、もう生きるのを止めたのだ。

自己の中で、異論は、その時に生まれてはいなかった。

4 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:01:53.07 ID:3+BWxWgT0

だが、身勝手にも"その放棄"にも、嫌気が差した。

表現としては、こちらの方があっているのかもしれない。
結局、逃げ続けているのだ。

――あの日。

会社を解雇されたあの日から。
いや、生まれたその日からかもしれない。
自己嫌悪の塊。自分と言う存在を疎ましく思う思考。

その中で、ドクオは長い間熟考を重ねた。
何から、逃げたいのか。
何が、一番嫌いなのか。

連なっていく生活、生涯の一欠片ずつを見つめ、時にはほくそ笑み、時には涙した。
耳に残る母親の声。
腕に残る、父親の肩の温もり。

目に残る、家族との思い出。

そして、ドクオは気付く。
記憶が、徐々に薄れていっている事に。

6 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:04:47.94 ID:3+BWxWgT0

( ∵A∵)『居ゴこ地がいイ場所を、出て行きタクは無い。お前も、ソウだろう?』

ちょうどあの日から。

('A`)『……』

消しゴムを、文字を並べたノートに軽くこすりつけるようにして、消えていく思い出。
にじみ、薄れ、やがては消えていく。
それは、脳へtanasinnが干渉しているから。
体内をうずまくtanasinnの欲に、ドクオの体は奪い取られていっているから。
それは、たとえそのtanasinnが親であろうと、なんら変わりは無い。

人間故の本能、とはよく言ったものだが、tanasinn故の本能も、当然あるのだ。
侵食対象を、全て取り込むその機会に、みすみすと逃す事があるだろうか?
もちろん、無いだろう。

J( 'ー`)し『なんで?どっくんは、このままじゃ嫌なの?』
(; A )『…っ…。嫌なんだ……』

その宿を失いたくは無いtanasinnは、防衛する。
その巣を。居場所を。

J( 'ー`)し『カーチャンは、いつまでもあなたの傍にいるわよ?
      ……それじゃ、嫌なのかしら?困ったわね……』

宿主の記憶の深い箇所から、思い入れの強い、想い出を掬い取る。
まるであの日と同じような感覚へと、追いやるのだ。
そうして、tanasinnは自己を確立する。
他人を有して、自分という存在を形成する。

7 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:06:02.15 ID:3+BWxWgT0

( ;A;)『やめてくれよ……。頼むから、頼むから……。
    カーチャンを悪く使わないでくれよぉ……。お願いだよぉ……』

……わかってる。
頭の中では、整理がついている。
だけど、涙が止まらない。
目の前にいるカーチャンと、フラッシュバックする光景に。

J( 'ー`)し『あらあら。どっくんは泣き虫さんね。
      いつまで経っても泣いてちゃ、いけないわよ?』

スルリ、スルリと。
心の中の心の隙間に、入っていく。
角を削り、丸みを帯びていく心は、防衛する力を失っていく。
tanasinnは、同化を望む。だが、その同化は同化では無い。
侵食という名の同化。

退廃的な雰囲気を持つ、その煽ることを止めない恐怖心が、
ドクオの脳に、くっきりとこびり付いて離れないでいた。

もう、完膚なきまでに精神を叩きつけ、陵辱し、追いやっても、
tanasinnはその思索を止めない。

だが、その時のドクオは何かが違っていた。

10 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:08:19.30 ID:3+BWxWgT0

これこそが、パニタストリンの力なのだろうか?
それとも"BOON"と呼ばれるカプセル状の機械のおかげなのだろうか?

ドクオの中には、揺らぎ無い何かが。
ドクオの中に、動じやしない何かが。

tanasinnの、数の多く、太く頑丈な蔓を、少しずつ振りほどいていく。
どれだけの時間、自分の心を閉ざしてきたかはわからない。
誰もいない世界で、ずっと一人でいればいい。ドクオはそう考えていた。

(; A )『止めてくれ……。止めてくれ……』

J( 'ー`)し『どっくん。何がだい?カーチャンはいつでもどっくんの味方よ?
      ほら。小学校4年生の運動会。一緒に走ったじゃない?懐かしいわぁ。
      あの時は、こけちゃったどっくんを背負ってゴールまで走ったわねぇ』

自分の中で、自分の見てきた世界が人生だと考えていた。
でも、そうでは無い。

今から見る世界も、人生なんじゃないだろうか?
そんな考えが、少しだけ生まれた。

そして、一人じゃあ、この先は見れない。
人生は、確かにつまらない。
この先もどうせ、つまらない人生なんだろう。

人の顔色を伺って、伺って、伺って。頭を下げて下げて下げて。
それで過ごしていく人生だ。

11 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:09:07.35 ID:3+BWxWgT0

J( 'ー`)し『背中にどっくんの鼻水と涙がついててねぇ…。帰ってすぐ洗濯しないと。
      なんて考えてたけど、なんか勿体無い感じがしちゃってね……』

それに……。
もう、カーチャンはいないんだ。

目の前にいるカーチャンは、カーチャンじゃないんだ。
想い出の中だけのカーチャン。

でも、想い出でもいい。
今すぐ抱きしめたい。
甘えたい。
色々あった事を話したい。
一つの布団で一緒に寝たい。
足りない部分を、埋めたい。
今までありがとう、そう言いたい。






そして、ごめんって言いたい。

12 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:10:14.15 ID:3+BWxWgT0

でも、それは全て想い出。
マイナスにもならないし、プラスにもならない。

( ;A;)『止めろって言ってるんだ!!!!カーチャンはもういない!!!
    いないんだよ!!!もう!!目の前にいるカーチャンは……っ、違うんだよぉっ』

ドクオは叫ぶ。
何も無い空間で。

どこまでが"上"で、どこまでが"下"か。
どこまでが"自分"で、どこまでが"tanasinn"なのか。
わからない空間で。

尻窄みな声で。


ドクオは、精一杯叫ぶ。


今までの、家族との悲しい想い出を、胸の底の底にしまうようにして。
優しく、激しく叫んだ。

すると……。

14 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:11:09.31 ID:3+BWxWgT0

( ;A;)『…あの、ナイフ……?』

手には、紫煙の塵に包まれた、あのナイフが握られていた。
どこかから流れてくる、ハーモニカの音。
なんだろうか。
不思議な、不思議な気持ちにさせられた。
今までの、自分を苦しめてきた何かから解放されたかのような、すっきりとした気持ち。
その気持ちが、ドクオにナイフを握らせたのだろうか。

途端に、ドクオの息が荒くなる。
手に握ったはいい。そこまでは、いい。

想い出が氾濫しているこの空間で、ナイフを握ったのがいけなかった。
人間というのは、ふと嗅いだ臭い、手に触れた感触。
そういった一時的な五感への記憶が、本筋の記憶を呼び出すトリガーになるのだ。

ドクオの握るナイフは、まさにあの時。
がらんどうとした地下駐輪場。tanasinnの目覚め。
カチカチと、時たま音を立てて小さくはじける切れかけの蛍光灯の音。
全てが、鮮明にドクオの目の前に現れた。

ドクオの行為を、ドクオは客観的に見ていた。
震えているドクオを見るドクオ。
上司の胸に、思い切りナイフを付きたてるドクオを見る、ナイフを持ったドクオ。


複雑化した視点の中で、ドクオはただドクオを見ていた……。

15 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:11:53.05 ID:3+BWxWgT0
思考の連続の先にあるのは、思考の枯渇、結露。
無くなりもする。
止まりもする。

それは当然の事。
有限な事物に、無限は無いのだから。
無限の事物は、滅多に無いものである。

( A )『止めるぞ止める。止めるぞ止める。止めるぞ止める』

ナイフを使って。
止めるぞ、止める。
止めるぞ、止める。
この連鎖を、止めるぞ、止める。
俺は……止めるぞ、止める。

異常な空間は、精神内精神を揺さぶり、変革を与える。
ドクオの手に握られたナイフには、汗が。
ぬめりを持った、焦りを帯びた脂汗が。

そう、ドクオは感じ取った。
先程までのなだらかな時間経過とは違う、一転としたこの状況に、焦っている。
眼前にいる、黒い影。
あれが、本当の姿なんだろうか?
これが、tanasinnなんだろうか?

……こいつが、tanasinnなのか。

人を探り、人に近づこうとしているんだろうか?
人を愛し、人を憎んでいるんだろうか?

17 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:13:53.12 ID:3+BWxWgT0




      ._,v-!'ヾ゙「厂¨^^'''ーv、
    .,ノl「」`:.‐ .!.'`.、::′ .,) ´゙'=、
   ..,r「 、.´ _.  ' .゙..- ' _ノ‐¬=<ノ'\
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 ノ:  .´- `.`'.゙ `  _'「 .\   .,ノ゙ .′ )
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  ゙))_ヽ' .:.ヽ' ┐:、 ‐ ,丿 '^.`. │_´^.,)'′         
   .\ `.ヽ^ .' 、 .´′., ._ .'.┐ ..,>'′                    
     .゙'‐r,」゙.´'フ \:. .丿:、:. :_iv┘
    .    ¨'''ー-v厶vニ-ー^



   『Don't think. Feel and you'll be tanasinn』

18 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:15:36.42 ID:3+BWxWgT0

今のtanasinnを、一言で言うならば……。

好奇心の塊。

そんな気がした。

( A )『元へ帰るんだ。元へ帰るんだ……』

ヘラヘラと、笑うような素振りを見せるtanasinnに、ナイフの切っ先を向ける。

異常な空間で、真っ直ぐと屈託の無い光を見せるその刃物は、
その輝きと同じく、tanasinnだけを見つめていた。

形を変えながら、フワフワとドクオの周囲を舞うtanasinn。
自分の危険を察知しているのかどうかもわからない。
全くの予測不可能。

一歩、踏み出す。
踏みしめたその地面に、ゼンマイのような植物が一瞬で群生した。
驚きつつも、前へと進む事を止めないドクオ。

もう、一歩。
次はカボチャの蔓、葉、花がドクオの体に、寄り添うように、絡めついた。
その障害をナイフで一つ一つ丁寧に刈り取ると、またも真っ直ぐ前を見る。

19 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:16:26.08 ID:3+BWxWgT0

一歩、一歩。
ドクオは、ふと考えていた。

この一歩が、どうして踏み出せなかったのか、と。

あの日、あの時、自分の一歩が無かったせいで、
もう一歩を踏み出すのに大きく時間がかかってしまっていたんだろう。

自分のしたい事がわからなくて、自分がどうなりたいのかがわからなくて……。
そう思って、学生時代一時期引きこもっていた。
何をする訳でもない。

自分を見つけよう、その漠然とした、青春によくあるテーマを掲げて、
立派に引きこもっていたのだ。当然、何も見つからない。

どうしよう、どうしよう。
そういった思索が頭に浮かび、頭の中で満タンになった時に、
まるで限界まで息を止めて潜水して、水から飛び出て息を思い切り吸った時のように。

苦し紛れの一歩を踏み出していた。
今、自分はどうだ?
こうやって、一歩を踏み出しているじゃないか。
ある目標に向かって、一歩を踏み出しているじゃないか!!

( ;A;)『一歩を!!踏み出せたんだよ!!!俺は!!!』

訳のわからない胸の高揚。
それがドクオを駆り立てる。

20 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:17:11.21 ID:3+BWxWgT0

口の端が釣りあがり、目からは涙が止まらない。
不思議な感覚が、ドクオの背筋を染め上げた。

そして――。

tanasinnに、その刃が届く距離に着く。
それは、長くも短い13歩。

( ;A;)『……!!!』

後ろは見ない。
辛いから。

後ろは見ない。
悲しくなるから。

もう迷わない。
俺は、前を向く。

右腕に持ったそのナイフの刃を、風に乗せるように平べったく向ける。
腕が、自然に撓るようにして、tanasinnの方へ。

突くのではなく、切り裂いた。

自分の中にいた自分を。
tanasinnという、空虚な事物を。

21 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:18:28.80 ID:3+BWxWgT0

声を出さず、そのまま溶け出し、空気となり飛散する。
途端に、世界は収束を始める。
いつものあの光景と同じ。
光が、光を喰っていく。

('A`)『これで……』

そう。
次に目覚めたときは、前を向こう。
下でも無く、左右でもない。
前を向こう。


――――
―――
――

ミセ;*゚ー゚)リ「ドクオさん!!!ドクオさん!!!」

誰かが、俺の名前を呼んでいる。
久しく見なかった、あの光。

そうだ。
帰ってきたんだ。

(;・∀・)「自力で…マジかよ」
('、`*川「一週間、か。随分かかっちゃったじゃないの」

ガラス越しに、ドクオを見つめる人たちを、ドクオは見ていた。

23 :◆Cy/9gwA.RE:2007/10/29(月) 02:20:42.21 ID:3+BWxWgT0

そして、口からでた、以前の俺の自然な一言――。


('A`)「……すいませんでした」
( ・∀・)「何謝ってんだよ。おかえり、ドクオ」

そう言われて、口からでた、今からの俺の自然な一言――。

('A`)「……ただいま」

少し、少しだけ何かが変わった気がした。
そう言うのに、抵抗が無くて、不思議な気分だった。






『ソうだ。
 帰っテきたんだ、こコに』



('A`)にはノルマがあるようです 第8話『ドクオには帰りたい世界がある』 完


('A`)にはノルマがあるようです 侵食編 完


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